大和:宮古が豊かだと感じたことに対する考察

盛岡に行くたびに「もりおか歴史文化館」に足を運んでいます。訪れやすい立地というのもありますが、何度訪れても、盛岡の歴史が頭に入ってこないというのもあります。そもそも盛岡には教科書に掲載されるような大きな歴史がありません。

東北全体に言えることですが、古い歴史はほとんど残されていません。東北で「歴史ある」といえば平泉くらいで、あとは江戸時代以降にスタートした歴史がほとんどになります。もちろん、それまでに暮らしていた人もいますし、きちんと紐解けば学ぶことがたくさんあるはずです。

ただ、「もりおか歴史文化館」でさえも、あまり深掘りした解説をしている展示がありません。それゆえに、何度訪れても「こんな展示あったっけ?」となってしまいます(実際に展示内容も変えているのでしょうが)。もちろん、そうなる最大の理由は私の記憶力の低さにあるのですが。


盛岡はそもそも「蝦夷」であり、「大和」ではないというのが私の認識です。征夷大将軍という言葉が示すように、大和朝廷が大和に取り込もうとしているだけで、蝦夷には蝦夷の歴史がありました。それもあって、盛岡には古い歴史があまり残されていないのでしょう。

そして盛岡は寒さもあって、稲作には適していません。大和朝廷と稲作は切っても切れない関係にあり、そういう意味では、盛岡やその周辺は大和朝廷にとってそれほど重要視していなかったのではというのが私の推測。ただ、その中で宮古は違うのかなと。

本州を大和朝廷のものとするなら、日本を「日出ずる国」とするなら、本州最東端というのは、それだけで意味のある土地になります。大和朝廷が全力で手に入れたくなったとしても、何も不思議ではありません。むしろ征夷の本当の理由と言っても過言ではありません。

宮古サーモン・ハーフマラソンをかなり気に入っているのですが、私の中で「宮古とは?」という疑問がずっと残っています。本来であれば、あの場所にあれだけの規模の街があるのは不自然です。ローソンの入り口からその先にあるローソンが見える街なんて東京でもそうはあらません。

今回は行けませんでしたが、宮古には豪華客船である飛鳥が停泊するような港もあります。街はどこもきれいで、新しい建物も珍しくありません。そしてRUNNING STREET 365でも書いたように、過剰とも思えるコンクリートの壁で津波から守られている集落もあります。

街の規模を考えると、その立地を考えると違和感があるわけです。あまりにも豊かすぎると。もしかしたら、優遇すべき理由があるのではないかと疑ってしまう自分がいます。もちろん、ただの思い込みなのでしょう。宮古の人たちの努力があっての豊かさであるはずです。


ただ、大和の最東端(日本の最東端ではない)であり、語られることのない歴史がそこにあり、天皇家と同じように国をあげて守らなくてはいけない何かが眠っているとしたら、それは物語として面白いのではないかと考えてしまう自分がいます。

「宮古」は「都」。それはこじつけかもしれませんが、そこが蝦夷の都であり、大和朝廷がどうしても手に入れたかった土地だとすれば、そこにロマンを感じずにはいられません。そして、多くを語ることなく、それが今でも受け継がれているとするなら尚更です。

繰り返しますが、これは私の妄想であり、フィクションを書くうえでのひらめきのようなもの。でも、それを確認しに行くのはありではないかとも思うわけです。たった数時間しか滞在しておらず、私はまだ宮古の表面に触れただかで、何も知らないわけですから。

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