
モノがあるからモノが増える。当たり前のことを言うなと叱られそうですが、モノはモノを呼び込みます。カメラがあるからレンズが増える。ランニングをするからシューズが増える。欲は新しい欲を生み出し、それの連鎖から逃れることはできない。
だから最初からモノを持たない。最小限にするというのが私のスタンスですが、もちろん誰にも推奨しません。そんなスタンスが広まったら、資本主義があっという間に崩壊します。みんなが好きなモノを食べで、好きなモノを買うから経済が回ります。
それでも私がモノを減らそうとしているのは、買わなくてもモノが増えていく環境にいるからかもしれません。レビューや体験などで記事を書く場合、使ったモノはそのまま受け取ります。だからランニングシューズが無限増殖します。
ランニングシューズだけでなく、リカバリーアイテムなども。RUNNING STREET 365のサイトだけをみて、自社の製品をPRできないかと相談してくれる人もいます。小さくないとはいえ、どこの誰が運営しているかわからないようなサイトなのに。
それくらいしっかりしたサイトに見えているということで、それは喜ばしいことですが、思わぬモノが増えるのは嬉しくもあり悩ましくもある問題です。メーカーからいただいたモノはそう簡単には手放せませんので。ちなみにいま手元にサングラスが6個あります。
いただけるモノだけで部屋が溢れてしまうから物欲は高まらないのですが、物欲のなさがひたむきさを消しているような気がします。「お金持ちになりたい」という強い意志がないから、どこかで自分に甘くなってしまう。欲があれば少しは違うのかなと。

人間は理性ある生き物ですが、理性だけで生きているわけではありません。本来はもっと本能の部分があり、ここまで理性ばかり求められるのはこの数十年のこと。30年前はまだ竹刀を持っている体育教師が当たり前にいました。
今はもうそんなことは許されません。自分の「こうありたい」が以前よりも認められなくなっている。そうなるとどんどん本能の部分は削られていくわけです。そして飼いならされた犬のように、社会に対して従順になる。そんな自分でいいのかと自問自答。
世間的に見れば、私は生き方こそ変わっていますが、人間としてはまともというか優等生タイプ(自分で言うことではありませんが)。ても、生き方からもわかるように、私は自己中心的だし、周りに合わせることをとても苦手にしています。
それでも自分を消して、やるべきことをひとつずつ着実に終わらせていく。本当の自分はどこにいるのだろう。50歳にして迷うことがときどきあります。迷ったところでお腹は膨れないので、その自答はすぐにやめてしまいますが。
物欲はない。執着心もない。でも、社会には溶け込めない。そんなことが本当に成立するのか。幸いやりたいことはたくさんあります。ただ、命をかけてやっているかというとそうでもなく。眠ければ寝てしまいますし、やはり自分に甘くなる。
そんな自分を変えたいなら、もっと持ち物を減らさなくてはいけない。手放す生活を終えて、少し落ち着いていましたが、愛媛マラソンから戻って、確定申告を終わらせたらそのステップへと移行しようと思います。まだまだ生活をコンパクトにできるはずですから。
