
雨上がりの駅のホーム。少し清々しさを感じたのは天気のせいだけじゃなく、今日から出社の人たちがいるからかもしれません。私が社会人になったのは2000年。ただ、研修からスタートだったので4月1日からだったかは覚えていません。
エンジニア派遣の会社で、合宿での研修を終えたら社内研修をして、派遣先が決まるのを待つというのが本来の形。ところが私は入社前の段階で派遣先が決まっていて、合宿明けから派遣社員としての生活がスタートしました。
最初の派遣先が3次元CADを推進する部署で、図面の読み方やモデリングの技術をそこで身につけ、設計の部署に引き抜いてもらって(派遣社員のままですが)機械設計者としての1歩を踏み出しました。10年前まで機械エンジニア。
転職前は半導体製造装置、転職後はスカイツリーのアンテナや核融合炉など、なかなか興味深い製品の設計に携わりましたが、今はそのような要素は1ミリもなく。機械設計で鍛えられた空間把握能力だけは、荷物をパレットに積むときに少し活用できている程度。
2000年に社会人になったとき、まさかこんな人生になるなんて考えもしませんでしたし、ずっとエンジニアでいくものだと思っていました。それをネガティブに感じたことはありませんし、エンジニアはエンジニアで楽しんでやっていました。
あえて不安要素があるなら、組織での行動が苦手ということ。従順な社員、光るところがある若手を演じるのはそこまで難しいことではなく、そうやって世渡りしてきたのも事実。でも、それは自分の本質ではないから、長くは続きません。

ドラマ水滸伝が最終回を迎え、チンギス紀も残り1冊となりました。水滸伝はその終わり方では困るという内容でしたが、きっと続編はありません。すべてをドラマにするとなると何年もかかりそうなので。ただ、小説を読んでいた人に引っ掛かりは作ったはずです。
志とか軍人の在り方とか。青面獣楊志が軍人は命令に従うだけという考え方を貫こうとする姿に、そういえばかなり影響を受けたことを思い出しました。それは社会人になって、社内で目立つような存在になってしまったことへの反省でもありました。
若い頃は自分の考え方をすぐに口にして、物事を何でも正そうとしていました。当然、先輩方はそれが気に食わないから、足を引っ張ってきたり、裏であれこれするわけです。それに嫌気がさして最初の会社であるアルプス技研を辞めたわけですが、そもそも目立ったのが良くないのかなと。
与えられた仕事を淡々とやり、あとは面白おかしく楽しみながら仕事をするだけなら、嫌な思いをすることもなかったのではと。だから、水滸伝で学んだ「軍人のように指示されたことをしっかりやり切る」という働き方を身につけました。
これは今のアルバイトでも軸としている働き方です。改善したほうがいいと感じたことも、口にすることはありません。安全に関わることだけは、そっと伝えることはありますが、間違っても「こうしたほうがいい」なんてことは言いません。
それが正しいやり方なのかは分かりませんが、少なくとも余計な負担を背負う必要はありません。与えられた仕事をまっとうする。文句を言うときは必ず笑いに昇華する。結局のところ、仕事なんて楽しんでなんぼ。難しい顔をしても成果に繋がるわけではありませんので。
