
半年ぶりの盛岡。昨年から桜を追って東北に来ているのもあり、年2回も盛岡を訪れています。1年前は桜前線の予報を信じて訪れましたが、到着した日が盛岡の開花日。ほぼ蕾の桜を愛でて、次の行き先を弘前から平泉に急きょ変更した思い出。
今年こそはと意気込んでいたら、昨年とは打って変わって桜前線が徐々に加速。盛岡を訪れたときにはソメイヨシノは葉桜に。その代わりというわけではありませんが、枝垂れ桜が満開。これはこれでいいものです。むしろ、このタイミングだから見れたわけで、それは幸運なことなのかもしれません。
ソメイヨシノのタイミングだと枝垂れ桜を見れなかったわけで、これはもう縁のようなもの。盛岡城で満開になっている桜を見る機会はまたあるでしょうし、むしろまた春にやってくるための理由ができてよかったかも知れません。
東北風土マラソンと桜旅を毎年のセットにする。もしくは青森さくらマラソンを組み合わせるのもいいかもしれません。どこで桜を見れるかは東北の神様の気分次第ということで。きっとそのときそのときで、出会うべき人に出会い、見るべきものを見れるのだと。
ご縁かどうかは難しいところですが、昨年の秋に宮古でマラソンを走り、そのあと盛岡に戻ってきた日にそこそこ大きな地震がありました。そして今回はさらに大きな地震が発生。東日本大地震を思い出させるほど長く揺れ、電車も新幹線も止まったようで。
そんな縁は必要ないかというとそうでもなく、東北で地震に遭うことは、あの日のことを思い出しますし、そのあと訪れた各地のことが頭に浮かびます。それは必要なことであり、試されているような気持ちにもなります。もちろんただの思い込みですが。

盛岡から弘前に向かう朝。早く起きて朝市まで走るつもりでしたがあいにくの雨。おかげでホテルの朝食ビュッフェをお腹いっぱい食べられましたが、朝市に行けてないのも心残りのひとつ。そうやって思い通りにならないのも旅の面白さでもあるので。
ただ、「また今度」と思っていても、必ず次がやってくるとは限りません。あと何回、この桜を見られるのか。気づけばそんなことを考える年齢になってきました。まだ早いと思うかも知れませんが、ここ最近の体調不良を考えると思ったほど猶予はない気もしています。
それこそご縁であり、回避することができない未来なので、無理にもがくつもりはありません。長生きするために無理をする。それは生きているといえるのか。好きなことだけをして、悔いのない時間を過ごす。それが正解なわけではありませんが、私はその道を選びます。
また見にこようというモチベーションと、次がなくても後悔しない生き方。相反するものかもしれませんが、私のような欲に塗れた人間らしくていいじゃないですか。割り切ることができないことをどれだけ抱えているか。それもひとつの魅力。
この世のすべてを見ることはできず、この世のすべての人に会うことはできない。だからこそ、いまこの瞬間をどう生きるのかを考える。会いたい人に会い、食べたいものを食べる。それができるうちは、立ち止まらない。できなくなったら、それを受け入れるだけ。
もちろん、続けられるようにするために、最大限の努力はするつもりです。よく寝てよく食べる。そして程よく体を動かす。体を休められる仕事を探す。まずはそこからやるとしましょう。ひとつひとつ丁寧に。散ると知っていても雑に咲く桜の花がないように。ただ当たり前を積み重ねることから。
