希望:北方謙三さんのチンギス紀を読了

長編小説を読み終えたときの喪失感は、いつになっても慣れることができません。北方謙三さんのチンギス紀は水滸伝から続く、長い長い物語。チンギスハンの始まりから終わりまでが描かれており、最後は流石にグッとくるものがありました。

ただ、これを読んでモンゴルに行きたくなったかというとそうでもなく、むしろ中国への想いが強くなった気がします。チンギスハンは元という国を作った原点ともいうべき人物。そして、私にとって元は中国なわけで、モンゴルとはどうしても結びつきません。

ただ、草原で生きてきた小さな民族がいて、彼らがどのようにして世界最大の国になったのかを知ることは大きな意味がありました。結局のところ、世界を変えるのも「個」なんだなと。もちろん物語なのでフィクションですが、突出した「個」だけが世界を変えられる。それは大きなロマンでもあります。


私自身にそんな力はなく、ただ物語を妄想するだけですが、世界は変えられなくても、自分を取り巻く環境は、私の「個」により変えられますし、そもそもいまの環境ですら、私の「個」が生み出したもの。個性を磨けばさらに違った環境を生み出せます。

人はそれを「希望」と呼ぶのかもしれません。自分にはまだできることがある。そう思えることが豊かさなのかもしれません。自分がどう足掻いたとしても、何も変えられないのなら、そこに希望はありません。もし、あるとしたらそれは「希望」ではなく「祈り」であり、未来を神様に託すことしかできません。

自分の力で切り拓きたい。それは傲慢な考え方かもしれませんが、私は常にそこを目指しています。だから、安易に誰かを頼ることもせず、自分の力ですべてを完結させようとします。そこは私の長所でもあり短所でもあるのですが、今さら変えることもできません。

子どもの頃から誰かに頼るというのが苦手。そこそこ器用な人間だったので、大抵のことは自分でやった方が早いというのもありました。しかも説明が得意ではないので、ほとんどのことは説明しているうちに自分で終わらせることができたので、余計に誰かを頼らなくなります。

そんな人間に世界を変える力はありません。世界を変えるのはいつだって、周りを巻き込める人。人間1人ができることには限りがあり、大きなことをするには誰かの力を借りなくてはいけません。私にはそれができないから、大きくなれずにいます。

私のようなタイプは、誰かに仕えるのがよいのだと思います。とにかく情熱的で、それでいて人情に厚く、抜けているところもあるけど仕事もできる。そんな人がいればいつでも仕えるつもりでしたが、そんな人には出会わないまま50歳に。


これはもう現れないんだろうなとは薄々気づいてはいます。だから基本的には自分だけでやっていく。ただ、どれも中途半端になっていることは自覚しています。1人でやるなら1人でできることをやり抜く。あれこれ手を出さずに、時間をひとつのことに注力する。

たとえば、万里の長城マラソンに注力し、毎回100〜200人の日本人参加者を集める。RUNNING STREET 365に注力して、月間PV20万を達成する。そういうことをするにはとにかく情熱が必要で、ところが私にはそこが大きく欠けています。

当たり前のことを当たり前に積み重ねることしかできない。ただそれは私だけの強みでもあります。発想の部分が弱いので大きく成功はできませんが、希望は常に持っています。まだやれる。その想いが消えない限り、自分自身の足で大地を踏み締める。私にはそれしかできませんから。

集英社
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