
取材ランで25km走った疲労がまったく抜けず。その前は万里の長城マラソンの疲労だったし、レースばっかりでろくに走れていません。そんな中、今週末は大倉山のジャンプ台を逆走するわけですが、まったくいいイメージが湧いてきません。
自分が持っている中で、とにかく薄くて軽い1足を持っていくことくらいしかやれることが思いつきませんが、とりあえず付け焼き刃で昨夜から体のケアとアサイーの摂取を。おそらく最後のRedBull400なので、出せる力はすべて出しますが、そもそも練習できていないという。
ロードにおいては「骨盤を使う」走りを意識できるようになりつつありますが、それが激坂で使えるのかは不明。理屈の上ではいい走りができるはずなのですが、ぶっつけ本番でできるほどレースは甘くありません。そもそも、この短期間で骨盤を使えているのもおかしな話。
ランニングフォームの改善というのは、数年かけて行うのが普通。私はピラティスを学んだことで、自分の体をコントロールする術を身につけましたが、それでも変化を実感できるレベルでの改善というのは簡単なことではないはずです。ただ、できてしまったという事実。
もし、現時点で変化が微細なものなのだとしたら、ここからさらに改善が進むわけで、流石にそれはとょっと考えにくい。まだ荒いもののダイナミックに変化している可能性があります。そうだとしたら、人間の可能性の高さにただただ驚くばかり。
人間はいったいどれだけのポテンシャルを備えているのか。42.195kmを走るだけでもとんでもないこと。それも、必ずしも最適なフォームでない走り方をしててもできる。そして、そこから最適な走り方を追求することもできる。もちろん個人差もありますが。

私はどれだけ走れるのか。それはずっと考えていること。五街道はすべて走り、距離に対する不安はなくなりました。では、1000kmでも2000kmでも走れるのか。日本一周とかできるのか。自分自身に興味があります。実際にやるかどうかは別として。
以前は、いつか日本一周をと思っていましたが、この国に熊問題が起こり、安易に旅ランできない時代になっています。熊に遭遇し、仮にそこで命を落としても、それも人生なんだと思います。ただ、間違いなく誰かに迷惑をかけることになる。それが嫌なんですり
自分の限界を知りたくて、勝手に走っているだけなら問題はありません。でも、それが誰かに迷惑をかける行為になるなら、許容できない話になります。そんな生き方を選べるようには育てられていませんし、私が目指すところとは違います。
ただ、可能性の追求を諦めたわけではありません。自分はどこまで走れるのかというのは、どんな形でも追求できます。たとえば東京から九州を目指すなら熊のリスクはほぼありません。実家まで走ってみるというのも、宝くじでも当たればありです。
そして万里の長城を可能な限り端から端まで走ってみるというのも。国としてそれが許されているのかどうかはわかりません。でも、中国人がそのルートを開拓していないとも思えません。彼らは好奇心旺盛であり、成長することを楽しむ民族なので。
可能性は無限。ただ、一歩を踏み出すかどうかは自分次第。現状維持で満足するのではなく、「もっと深く知りたい」という気持ちを抑えないこと。深く深く入り込み、人体の不思議を追求していく。その結果、自分の可能性が広がるといいなと考えています。
