
若い世代が相談はChatGPTにしているという話を聞いて、なぜAIを簡単に信用してしまうのだろうと不思議に思っていました。相談しているといっても、参考にしている程度かなとも。でも、プロ野球チームの監督の騒動で、そんな浅いものではないことを知ることに。
親に手を出されたことで、ChatGPTに相談し、それが親の逮捕につながり、こんなことになるなんてと後悔することになる。あまりにもイレギュラーな環境での出来事なので、主語を大きくするわけにはいきませんが、これが今の時代なんだなと。
もっとも信用できるのがAIであり、相談相手もAI。それが笑い話ではなく、本当にそれをしている人が一定数いるということ。それがいいとか悪いとかではなく、それを前提にしておかなくてはいけないという話。たとえば甥っ子や姪っ子と接するときに。
そもそも私の場合は「相談する」ということをしません。誰にも相談せずに50年生きてきました。相談するという行為を活用することはあります。ここは相談した形にしたほうが、プラスに作用するというときに相談することはあります。でも、自分のことを誰かに相談するとはなく、自分のことは自分で決めます。
他人を信用していないのではなく、自分で考えて自分で決めることが好きなだけ。常々言っていることですが、人生とは経験することだと思っているので、失敗が良くないことだとも考えていません。自分で考えて自分で判断し失敗したら、それは糧になります。
悩みごとというのは、人生の一番美味しいところです。そこを誰かに委ねるなんてもったいないことは私にはできません。だから、余計にAIに相談するということが理解できないわけですが、私が理解できなくても、すでにそれは行われています。

経験するという意味では、AIに頼りながらいきるというのもひとつの経験ではあります。いまの若い世代はAIと共存するという生き方を経験しています。それは本当に興味深い話なのですが、AIを信用するというのは、どうも危うさを感じてしまいます。
私はライターであり、AIを使って仕事をすることも多々あります。だから余計にAIを信用していません。当たり前のように間違った情報を流してくるから、必ずその情報が正しいのかどうかを確認しないと使えない。そんな相手だから、余計に相談なんてしません。
繰り返しになりますが、AIに相談することを否定したいのではなく、私はその使い方をしないというだけ。でも10年もしないうちに、マイノリティになるんだろうなと。そうなったときに、きちんと自分の足で立っていたい。それが私の目指すところです。
しかしながら、AIに対する信頼が上がれば上がるほど、人の心を操るのも簡単になるのでしょうね。これまではテレビがその役割を果たしていましたが、その役割をAIが行う。AIに「結婚はいいこと」という答えを出すようにプログラムしておけば、少子化問題すら解決します。
もしかしたら、AIに広告を出してもらうサービスなんかも始まるかもしれません。比較したときに自社の製品やサービスを勧めるみたいな。それではAIの意味がないと思うかもしれませんが、ない話ではありません。少なくともメディアはそうやってきたわけですから。
AIが勧めた服を着て、AIが勧めたお店で食事して。そんな嘘みたいなことが現実になっています。いずれ自分の未来さえもAIに託すようになる。そんな人類がどこに辿り着くか見届けたい。変なところで人類に対する興味が湧いてきてしまいました。その思考すら実はすでにAIに支配されている結果かもしれませんが。
