
万里の長城マラソン日本事務局をしていて痛感するのは、語学をもっとしっかりやっておくべきだったということです。英語と中国語ができるかどうかで世界がまったく変わります。そして私は毎年のように中国に行っているのに、どちらも話せません。
よくよく考えたら、中国語も話せないのに、まったく不安もなく中国に行けているというのは常識から外れてしまっているようにも思えますが、実際に困ることはありません。話せたらもっと楽しいだろうなとは思うものの、話せなくて困ることもなく。
もっとも英語も中国語もまったく話せないわけではありません。簡単なやり取りなら何とかなります。高校時代に赤点を取り続けた英語ですら、さすがに10年も授業を受けていれば、多少は使えたりします。ただ、最低限のやり取りだけ。
学生時代に語学で躓いた経験のある人なら、そもそも海外に行くという選択肢も、人生の中に用意されていないのかもしれません。片言しか話せないのに、グループの先頭に立って飲食店に入るなんてことをするのはマイノリティであり、おそらく普通ではありません。
ただ、現状に満足しているわけではありません。もっとコミュニケーションをとるために、アルバイトの通勤中に中国語のフレーズを聞いています。そんなことをして効果があるのかと聞かれると、いささか不安です。それでも何もしないよりはマシです。
この中国語に合わせて、英語のリスニングも始めました。朝は中国語、帰りは英語という感じで短文のフレースを聞いています。面白いもので、英語はそこそこ聞き取れます。おそらく中国語よりも知っている単語が大きいことが影響しています。

受験英語なんて揶揄されることもありますが、10年の学習というのはそれなりに積み重ねになっています。そして社会人になってからも英語は時々勉強していたので、それがいい方向に働いているのでしょう。反対に中国語は単語力が弱すぎます。
知っている単語も、聞いてすぐにイメージできるというわけではなく、ワンテンポ置いてイメージが湧いてくるので、会話に繋げることができません。ただ、最近は中国語をメインに勉強してきたので、例文の日本語を聞いたときに、まず変換しようとするのが中国語。
これは意外でしたが、中国語をやってきたこともまったく無意味ではなかったのだなと。初心者ではあるものの、最初の壁みたいなものは乗り越えた気がします。おそらくここからは単語力を意識して勉強する必要が出てきます。逆にいえば、単語力をつければ大きなステップアップになりそうです。
これまで何度も跳ね返されてきた語学の壁。年齢を考えれば、いまさらペラペラに話せるようにはなりませんが、継続さえしていれば、必ず成長します。それはランニングと同じで、やれば伸びて、やらなければ停滞します。だったらやるしかありません。
ただし、これまでのように高みを目指すというのではなく、今よりも少しだけ話せるようになれればいいという感覚で取り組みます。本気でやろうとするから挫折する。ゲームのように楽しみながらやることで、継続できるのかなと考えています。
語学がこんなに重要になるだなんて、学生時代には誰も教えてくれませんでした。意味もわからず英語の勉強をしていましたが、あの頃の私に「絶対にやっておけ」と教えてくれる人がいたら、また未来が違ったのかもしれません。だから、私がその存在になれたらいいなとも考えています。
