走道:成長の本質が薄れている時代に対して思うこと

ミズノの定番ランニングシューズの最新モデルが発表されました。ソール厚さが40mmを超えていて、公式レースでは使えない仕様になってるのを知り、なんともやるせない気持ちに。ルールに抵触するのは一部のトップアスリートだけで、それらの選手がレースで履かないから問題ないの理解します。

しかもマラソンシューズではなく、ランニングシューズであり、ランニングは自由です。どんなシューズを履いてもいいですし、シューズを履かなくてもいい。だから、ランニングで超厚底シューズを履いている人を見ても、感情が揺らぐことはありません。

ただ、マラソンとなると話は変わってきて、マラソンはルールのあるスポーツであり、そのルールの中で楽しむべきだという思いがあります。それが良いとか悪いとかいう話ではなく、それがスポーツであり、スポーツマンシップだと考えているので。


「アスリートでないからルールを守らなくていい」が通じるのはマラソンくらいじゃないかと思って、ゴルフについて少し調べてみたら、ゴルフには違反クラブというものがあるようです。そして、その違反クラブを推奨する人たちがいることを知りました。

どこの世界も人間がやっていることなので、起こることは同じなんだという事実。「自分たちはプロではない」という思考は、多様性の時代においては受け入れないといけないことなのかもしれません。ただ、それを多様性という言葉で片付けるのも乱暴な気もします。

少しでもいい成績を出すのに、いろいろ工夫する。それはいいとしましょう。向上心の表れですし、その気持ちなしでは到達できない領域があります。ただ、それは本質的な成長とは違います。道具を変えたことで記録が伸びたなら、それは道具による変化であり、成長ではありません。

もちろん、自分に合う合わないの話はあって、自分のポテンシャルを最大限に引き出してくれる道具を選ぶのは大切なことではあります。ただ、その道具は何でもありではなく、競技において定められたルールに則って選ぶべきです。そうでないなら、違う競技をしていることになります。

かつてキプチョゲ選手が、フルマラソンの距離を人類史上初めて2時間以内に完走しましたが、ナイキもキプチョゲ選手も、それをフルマラソンとは言いません。メディアも同じで、あれはフルマラソンの距離を走っただけで、フルマラソンではないとしています。

それはトップアスリートでなくても同じで、ルールに違反する選択をしたら、それはもう違う競技になります。勘違いしないで欲しいのですが、私は違う競技であることを批判するつもりはありません。どんな形であれ42.195kmを走るのはすごいことです。ただ、それはマラソンではないというだけのこと。


そこに重きを置くかどうかは個人の問題です。大切なのは、その意識を持っているかどうか。そんな小さなことと思うかもしれませんが、私は小さなこととは思いません。日頃から清く正しく美しくであれとは言いませんが、せめてスポーツをするときはそうであってもらいたい。

それが日本の文化であり、日本人の強みだと信じたいので。公正であり公平である。スポーツはその上に成立します。それはスポーツというよりは「道」に近い考え方かもしれません。「走道」なるものが世の中にあるのかどうか知りませんが、「走道」に反することはしない。

そして「道」を極めたいなら、己の成長という一点だけを見つめるべきだと。そういう意味では超厚底でもいいかなとは思います。それを履くことで自分自身の本質的な成長に繋がるなら。大切なのは道具に振り回されないこと。自分の意思を持って道具を選ぶということです。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次