
W杯がスタートし、2ヶ月だけDAZNに加入するか迷いましたが、そんなに見ている時間がないということで、無料で配信される日本戦だけ見ておくことに。5時キックオフということで、起床時間はいても通りの4時半。こういうとき、早起きが習慣付いていると助かります。
そして、素晴らしい試合でした。お互いが相手の良さを消しつつ、それでもお互いにそれを上回っていく。常に先行される形ではありましたが、勝ち点1を取れたのは小さなことではありません。何よりも「日本は負けない」という印象を与えたことは大きな1歩。
4年前と明らかに違ったのは、1ミリも日本代表を舐めていないという点。オランダには慢心のようなものがまったくなく、全力で日本を倒しにきていました。それでも負けない。きちんと追いつけるというのが今の日本代表の強さ。すごいチームになったなと。
日本代表の強さを感じれば感じるほど、自分から遠くなっていく感覚が強まり、そこには多少なりとも寂しさが伴います。同世代のサッカー小僧たちは、みんなJリーグに憧れ、ドーハの悲劇で悔しい思いをし、「自分たちが世界に」という思いを抱えていたはずです。
それが50歳前後になって、まだボールを蹴り続けている人もいれば、私のようにまったく違うところを自分のフィールドにしている人もいます。ただ、共通しているのは「自分たちの」日本代表ではなくなってきているということ。私はそれをまだ受け入れきれないでいます。
それは自分が日本代表になるとかそういう話ではなく、どちらかといえば片想いをしていた相手のことをふと思い出したときの感情に似ています。その瞬間だけは気持ちがあの頃に戻り、後悔だったり、ふとした喜びだったり、当時のままの感覚が蘇ってきます。

私もサッカーで食べていきたいと考えていた1人。いや、食べていくと決めていた1人。関東に出てきたのは紛れもなくサッカーが影響しています。関西の大学リーグの試合を見にいくたびに、「このレベルではいけない」という気持ちになり、関東を目指しました。
我ながらすごいなと思うのは、高校時代の私はとにかく下手だったということ。ペンチ入りすらできないようなレベルで、それは大学に入ってからもそう変わりません。技術面でもフィジカル面でも劣るから頭を使うようにして、何とか扉をこじ開けようとしたわけです。
できるとかできないとかいう話ではなく、そこしか見えてなかったわけです。大学時代にはそれなりに試合に出られるレベルになっていましたが、最終的にはコーチに近い立場になり、卒業後は実際に大学の後輩に教えるという役割でサッカーに触れてきました。
とにかく情熱があり、楽しい日々でもありました。ただ、どこまでいってもサッカーはチームスポーツ。私のような内向性の高いタイプには不向きで、ランニングを知ってからはボールを蹴る機会が激減しました。ボールを蹴る時間があるなら走っていたかった。
そうやって情熱を薄れさせていったわけですが、炎が完全に消えてしまうことはないのかもしれません。W杯の試合は見てしまいますし、YouTubeで日本人選手のハイライトはチェックしてしまう。自分には関係ないと分かっていながらも、追ってしまう。
何なのでしょう、この感情は。未練とするにはあまりにも時間が経ち過ぎています。もし、ランニングではなくサッカーを選び続けていたらこんな感情にならずに済んだのか。ただ、この感情を持っている自分が嫌いではありません。生きてきた証のようなものですし。
