個性:他の誰かと走力を比べる必要がない理由

今月は4回のパーソナルトレーニング依頼があり、先月末も1件あったので少し多めに稼働しています。オフシーズンということもあって、宣伝もしていませんでしたが、こうして依頼があるということはニーズもそれなりに高まっていて、マラソン人気を肌で感じています。

日曜日のレッスンでは、磨けば絶対に輝く子からの依頼がありました。腸腰筋がかなり強く、走ろうとすると弾んでしまうのが悩みとのこと。ただ、その弾む感覚は、多くのランナーが手に入れたくて悩んでいる部分であり、正しくトレーニングを積み重ねたら、とんでもないランナーになりそうでした。

ただ、面白いもので、そんな才能に恵まれているのに、ひとつの動きをなかなか習得できないというか、自分のイメージと体の動きが一致しないことが多く、そうなると「自分は運動音痴だ」みたいな感覚になってしまいます。でも、実際はその逆で才能があるから使いこなせていない。


持っている車はフェラーリだけど、運転免許証を取得したばかりみたいな。自分でコントロールしきれないフィジカルを持つ。そんな経験をしたことがないので、その子に共感してあげることはできないのですが、とにかく才能はあることだけは何度も伝えました。

勉強が得意な人もいれば不得意な人もいる。それと同じように、ランニングが得意な人もいればそうでない人もいます。ただ、勉強は学校で基礎から学びます。ランニングは誰も何も教えてくれません。体育の授業でも、ただ走らされるだけで、姿勢やフォームを教えてくれる先生はいません。

また、育った環境も大きく影響します。子どもの頃から外で自由に走り回らせてもらっていた子は、大人になっても体の動かし方がかなり上手で飲み込みが早かったりします。これは勉強も同じだったりします。勉強ほ場合、幼い頃にどれだけ本を読んできたかが大切になります。

本を読むことで読解力が高まるのですが、読解力が高まると、教わるのときに先生が伝えたいことを理解しやすくなります。1を聞いて10を知る。この言葉はネガティブな意味の諺として知られていますが、幼い頃から本を読んでいれば、それに近いことができるようになります。

当然ながら本を読むようになると勉強もできるようになります。勉強ができる人に対して「あの人は頭がいいから」と言うことがありますが、実際には生まれ持って頭がいいのではなく、そこまで積み重ねてきた結果だったりします。

ランニングも同じ。何もせずにいきなりフルマラソンを3時間以内に走ってしまう人がときどきいます。それを才能を呼ぶかどうか、いつも迷います。その人がそれまでどういう生き方をしてきたのかわからないので、才能なのか努力なのか判断ができないので。


ただ、はっきりしているのは個人差があるということ。同じ年齢、同じ体型のような2人がいても、同じように走れるとは限りません。これがランニングの面白いところであり、難しいところでもあります。どうしても得意不得意はあります。

才能があっても活かしきれない人もいれば、才能に努力をかけ合わせて、世界の舞台に立つ人もいます。いろいろなスタイルがあるのがランニング。だから誰かと比較することに意味なんてありません。速さは才能であり、努力の結果であり、個性でもあります。

大切なのは、その個性をどうやって磨いていくかであり、走りでどう表現するかです。だから自分の中で完結することであり、誰かに自慢するようなことでもなければ、卑下するようなことでもありません。むしろ追求すべきは自分らしさ。自分らしい走りとは何なのかを考え続けて見ると、また違った感覚で走れるようになります。

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