
SNSなどでブラジル戦での敗戦が誰の責任なのか、それぞれが好き勝手に言っていますが、なんともさもしいなと。まるで自分なら上手くやれたみたいなことを、誰もが目にするところに書ける図太さ。できもしないことは、その人が日本代表に選ばれていないことが証明しているのに。
ただ、スポーツにおいて「あのプレーはよくない」というのは、サッカーに限らずどのスポーツでもあること。プロ野球なんてそれがひとつの文化のようになっています。居酒屋でビール片手にくだを巻く阪神ファン。大阪時代の記憶ですが、そこには芸術性すらありました。
では、なぜSNSでの犯人探しをさもしいと感じるのか。きっと私は今でも「応援する」という視点でサッカーを見れていないのでしょう。学びとしてひとつのミスについて考えることはあっても、そのプレイをした選手についてネガティブに考えることはありません。
むしろ、50年という人生経験から、判断ミスですら「そうしたい気持ちはわかる」と考えることも増えています。たとえば2失点目につながった田中碧選手のボールロスト。何万分の1の奇跡を信じて、クリアせずにつなごうとしたんだろうなと。
なぜなら、彼らは勝つことしか考えていなかったから。勝つためには得点が必要で、ブラジル相手に得点をするためには、リスクを取らないといけません。田中選手はその瞬間をチャンスだと判断した。それが失点につながった。ただそれだけのことです。
こういうことがあるからサッカーは面白い。そして総合力が高いチームが勝つわけではないのがサッカー。サッカーにはジャイアントキリングという言葉があり、絶対的な不利な状況でも総合力の低いチームが勝利することも珍しくありません。

日本代表はそれを起こしかけて、手が届かなかった。少なくとも前半のブラジルは日本相手に打つ手がなかったのも事実。そこまでできたのですから、勝ちにいきたくなるのがトップアスリート。そして、自分の考える最善手を打つのは当然のことです。
そういう選手だから日本代表に選ばれている。そして、テレビの前で好き勝手いう人たちは、チャレンジできていないからそこに座るしかないでいる。それゆえにSNSで不平不満をこぼし、承認欲求を満たすしかできないでいるのでしょう。
おそらくこれからの日本代表は、同じようなシーンで逃げない選手だけが選ばれるのだと思います。逃げるだけでは勝てないことを今回のW杯で学び、そしてリスクを負うことの本当の意味を知ったわけで、だからこそリスクを取れない選手は必要ないと判断される。
ジャイアントキリングを起こすにはリスクを取る必要がある。リスクを取るという選択をすれば失敗することもある。そして、その失敗を叩く人がいるから、多くの人がリスクを取らなくなり、ジャイアントキリングが遠のく。
日本に長い期間漂っていた閉塞感の正体がそれ。ただ、ようやく「それでも挑戦する人」が増えてきて、叩くことがみっともない行為であることという認識が広まってきました。それがはっきりしたのが今回のW杯なのかもしれません。
あらゆる行動に対する結果については、すべて責任は自分にある。それでも自ら挑戦し続ける。そういう人材が増えていくのをただ眺めているだけで満足ですか?少なくとも私は挑戦者側であり続けたい。何に挑戦するかは決まっていませんが。
