梅雨:この時期になると思い出す風景

7月に入っても雨の日が続いています。10年くらい前も、梅雨時期といえばこういう感じだった気がするのですが、いつの間にか梅雨の期間が短くなり、関東では6月くらいから夏という年が増えてきたような気がします。なので久しぶりに梅雨らしい梅雨。

雨そのものに対して好きとか嫌いとか考えたこともないのですが、雨に濡れるのは嫌い(河童の格好をするのに)。ただ、雨のある風景は好き。どことなく落ち着いた気持ちになりますし、落ちてくる雨粒はいつまでも見ていられます。

風景を美しく切り取れたらいいなと思うことがります。カメラを持ち始めたのがそう思うきっかけになったのか、それともそういう感性があったからカメラを手にしたのかはわかりません。ただ、風景を切り取るのはすごく好きで、雨だと特別感があります。


子どもの頃、雨だと外で遊べないため、子供部屋で遊ぶことになるわけですが、それでもじっとしていられずに、マンションの廊下で遊んだり、貯水タンクの下で隠れ家ごっこをしていたように記憶しています。体はあまり強くなかったのに、なぜか外で遊ぶのが好きでした。

だから雨の日が続く梅雨は好きではなく、でもよく考えたら、雨の日があったから読書もしたし、「考える」という行為を行えていたのかもしれません。私は論理的思考を持つタイプと思われがちですが、実際には衝動的に行動するタイプ。

だから子どもの頃に雨の日がなかったら、まったく違う人格になっていたような気がします。そういう意味では、いま思うと梅雨の期間というのは、私の成長においてとても大切な時間だったのかもしれません。具体的に何が良かったのかわかりませんが。

雨が降ると思い出す風景があります。それは母の実家での風景で、引き戸を全開にした部屋に座り、屋根から落ちてくる雨粒をずっと見ていた記憶。その先には柿の木があって、さらにその先には農道と田んぼがあります。その風景だけはなぜかずっと色褪せることはありません。

雨の日の風景なので、色そのものがほとんどく、そもそも褪せる色がないのかもしれませんが。ただ、その風景を思い出すと気持ちが落ち着きます。幼かった頃の自分に戻るというか、あの頃から何も変わってないのにと不思議な感覚になります。

そう、私は自分が成長したという感覚があまりありません。たくさんのことを経験してきて、できるようになったことも増えていますし、何よりも鏡を見れば若くない自分の姿が写ります。でも、根っこの部分では昔からほとんど変わっていない気がします。


だからずっと、足りないような感覚に包まれています。もっとできるのではないかと。それが自分の原動力にはなっていますが、同時に体のあちこちにガタがきていて、万全のコンディションの日が減ってきました。体は確実に歳をとっているのです。

それでも同年代の人たちよりは動けているのかもしれませんが、内面は幼かった頃からまったく変わっていないので、老化に抗いたくなります。ポジティブな変化は受け入れられるのですが、ネガティブな変化を消化する方法をまだ見つけられていません。

どうしたものかなと考えたりはするのですが、雨音を聞いたり、雨のある風景を眺めていると「まあいいか」となってしまう。結局のところ、生きるというのはその繰り返しなのかもしれません。そこで危機感を維持できれば壁を突破できるのかもしれませんが、とりあえず今年は梅雨をもう少し楽しもうかと。

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