浮遊:ギャンブル性のあるゲームから学べること

嬬恋高原キャベツマラソンに行くときには、知人の別荘に泊まらせてもらっています。そこに雀卓があるということで、昨年も今年も麻雀をしましたが、わたしが麻雀をするのはそのときだけ。少し前から感覚を思い出すのにゲームをスマホに入れますが、普段はアプリを消しています。

そして学生時代から牌に触れていないので、当然ながら点数計算もお任せ。そんな感じなのですが、なぜかその別荘で麻雀をすると運が良くなり、強い引きだけで上がれてしまいます。自分が強いとか弱いとかではなく、本当についているだけ。

こういうときに「運」を感じるわけですが、こんな運の流れがそれその人生に降りかかっているのだとしたら、人生とは何なのだろうと思うわけです。何もしなくても、やることなすこと上手くいく。でも「運」だから、そういう人は間違いなく存在します。


1億分の1の確率でしか起こら奇跡的な運も、日本人の中で1人には起きている計算になります。そうなると「努力ってなんだろう」と考えないこともありません。歳を重ねいく過程で、ネガティブなこともすべて経験することが大切と気づくまでは、自分の運の悪さを嘆いたこともあります。

学生時代に麻雀をしていたときには、負けることが多く、ただただ悔しい思いをして、何とかして勝ちたいと考えていました。でも、今は勝っても負けてもいいというスタンスになり、ただのゲームとして、運の影響を多大に受けることを前提に楽しめています。

それでも年1回しかしないのは、やはり努力だけではどうにもならないギャンブル性がそこにあるためです。ギャンブルが悪いという話ではなく、私がそれにハマれないという話です。ギャンブルやゲームは、やっているときには楽しいけど、何も残らないことへの物足りなさはあります。

それが仲間とときどき楽しむ程度ならいいのですが、私は何をするにしてもとことん突き詰めていくタイプ。ハマったらハマったで全財産を失うまで突き進んでしまいます。ランニングですら、その領域に片足を突っ込んでいます。対象がギャンブルやゲームだと、間違いなく両足を突っ込んでしまうのでしょう。

とはいえ、負けるのも経験という考え方に、時間をかけてシフトできているので、過去の自分なら破滅に向かったかもしれませんが、いまの自分なら大丈夫な気もします。とはいえ、運に恵まれて調子に乗ってしまうと自分をコントロールできる自信はありません。

だから、やっぱり私は運に頼らない世界に身を置きたいなと。それでも運は影響しますが、できるだけ自分の力で前に進める環境で生きる。そして、上手くいっているときに調子に乗らないようにするためにも、年に1回くらい麻雀をするのがちょうどいいのかと。


人間は失敗したときに、その人の本質的なところが出てきます。そして、失敗することこそが成長を促すトリガーになる。ただ、実社会で失敗すると取り返しのつかないことになるので、ギャンブルやゲームで失敗して学ぶもいうのも大切かもしれません。

相手に振り込んだときに切り替えができるかどうか。同じミスを繰り返さないでいられるかどうか。そういう体験を短時間でできるのは面白いところ。それもゲームではなく、親しい間柄の人とやることで、新しい気づきがあるので本当に心から楽しめています。

もっともそう言えるのも運良く勝てているからなのですが。まったく勝てなくなったとき、運が自分にきていないと感じたときにどう振る舞えるかはやってみなくてはわかりません。それでも、そういうのも含めて面白いと思えるようになったことが、我ながら興味深いなと。

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