
両足の脛に痒みがあり、私は肌が弱いのもあって何らかの肌トラブルかなと思ったらどうやら汗疹。汗疹も肌トラブルではありますが、季節の風物詩のようなもの。夏が来たんだなと実感しています。汗疹は汗をかいて治す昭和の人間なので、とりあえず放置しておくとします。
肌に限らず、体のあちこちにトラブルを抱えていますが、もはやそれが当たり前になっていて、いちいち嘆くこともなくなりつつあります。腰が痛かろうがやるべきことはやらなくてはいけませんし、どこかが痒くても集中してしまえば忘れられます。
体にトラブルがあったところで、他の人と変わらない生活ができていて、それなら大したことはないのだろうと。もちろん、体に対して無頓着になるという話ではなく、それをいちいち嘆いてネガティブになるよりも、不調と仲良しになったほうがいいのかなと。
前提が「健康」であるから、ちょっと調子が悪いと気持ちが沈んでしまう。でも、50年は生物としての耐用年数を超えていてもおかしくありませんし、実際にガタはきています。だから、そういうものだと受け入れる。ただ、筋トレくらいはしておきますが。
速さを求めなくなったとはいえ、それなりに走りれる自分でありたい。その思いは変わりません。走ることが好きかと聞かれたら、返答に困るのですが、走れない自分は受け入れたくありません。だからこれからもトレーニングを欠かすことはないはずです。
これまではトレーニングをやりすぎていた。その結果、他の人より少し速く走れるようになっていたわけですが、同時に体への負荷も高まりすぎていました。平均以上の何かを手に入れるためには、なんらかの代償を伴う。当たり前のことをでしたが、その代償を若さで抑えていたわけです。

それが効かなくなったのなら、これまでと違うアプローチをするしかありません。トレーニングの負荷や回数も、かつてと同じにするのではなく、今の体力に合わせる。ただし、それなりに負荷を与えて、運動能力の低下を最小限に抑えたいところ。その落とし所をどこにするかがしばらくの課題です。
サブ3を狙うようなことは絶対にしません。それこそ不健康の極みなので。フルマラソンを何度も走るのもしないでいいかなと。その代わりというわけではありませんが、旅ランは増やしたいなと。旅ランで1日40kmくらいを毎月走れたらそれでOK。
フルマラソンは選択肢のひとつであり、いつでも走れる自分であればいいのかなと。それよりも、好きなときに好きな場所に行きたいという気持ちのほうが強くなりつつあります。マラソンに合わせるのではなく、興味のあるイベントなどに合わせて旅ランをする。
かつてはウルトラマンなんて参加費分のお金を握りしめて自由に走ったほうがいいと言っていましたが、今はフルマラソンですらそう思います。もちろんフルマラソンにはお祭りとしての楽しさはありますが、お祭りなら年2回くらいでいいような気がします。
こらまで走りすぎて、フルマラソンを走るということそのものを楽しいと感じる気持ちが随分と薄れています。その地方に行くのがメインになっていて、走る前後に何を食べられるのかのほうが、私にとって重要な重要なテーマ。だったら、旅ランのほうが適しています。
フルマラソンを走れるくらいの走力を使って何をするか。走ることを目的ではなく手段にする。これから10年かけてそちらにシフトしていきます。走ることが手段になったとき、マラソン大会もまた違った角度から楽しめそうですし。
