蝦夷:へそ祭りと開拓の歴史について思うこと

米国からやってきている友人家族に会うために富良野へ。今回は北海へそ祭りの期間に合わせて来たので、初日のお祭りを満喫。私が生まれる前から行われているお祭りで、50年以上も続いているということは、それはもう文化のひとつです。

ただ、富良野に限ったことではないのですが、北海道における文化とか神道というのは、どうしてもすんなり受け入れられるわけではありません。そこには開拓の歴史が必ずついてくるものがあり、開拓というものを50年生きてきてまだ消化できていません。

開拓というのは入ってくる側の理屈であり、そこで暮らしてきた者にとっては、侵略の歴史でもあります。では北海道はアイヌのものなのかというとそんなに簡単な話ではありません。アイヌ派北海道で暮らしていましたが、北海道を統治していたわけではありません。


北海道が日本であることは否定しません。開拓の歴史も。ただ、どんな歴史も表があれば裏もあります。そして、ずっと言い続けていることですが、北海道に神道はどうしたって無理があります。そして開拓の歴史と神道は強い結びつきがあります。

もはや私の同年代でも、戦前に神道が国教であったことを知っている人は限られています。でも天皇中心の統治となるということは、そのまま神道による統治ということになります。考えてみれば当たり前のことで、神道が政と切り離したのはGHQであり、戦後の歴史ということになります。

明治初期、富良野が開拓されるずっと前に、北海道神宮(札幌神社)が建てられました。円山を背に、鬼門を向いている神社。それは開拓の象徴であり、言うまでもなく富良野の開拓へとつながっていくわけです。それはひとつの歴史ですが、日本が統治したという結果に基づく歴史でもあります。

ただ、北海道は大和ではありません。私がこだわっているのはその1点です。大和ではなく蝦夷。それをいうと東北も蝦夷になるわけですが、そのあたりはまだ私の中で整理しきれていないので、また別の機会に言語化しておきます。

大和か蝦夷か。その違いはどこにあるのか。これも専門家ではないので、あくまでも私の考え方になりますが、八百万の神が違うのだろうと。私たちの知っている八百万の神は大和もので、蝦夷には蝦夷の八百万の神がいる。もしくは別の体系の神がいます。

アイヌの神々。それは実際に語り継がれてきた神様であり、そこに大和の八百万の神が入り込む。だから、日本の神社は北海道の地に馴染まないというのが私の考え方。どの神社も(神社以外も)厚いシートの上に建っているように見えてしまうのは、私だけではないはす。


だから、どうしても「すごい!楽しい!」とならないのは私の悪いところ。お祭りなんだから楽しめばいい。だけど引っかかる。北海道で神社を見ると引っかかる。でも、最近になって北海道神宮の周りが居心地よく感じるようになってきました。

不思議なものです。引っかかるものをはねつけるのではなく、どんどん深みにはまっていく。もっと深く知りたくなる自分がいます。富良野も北海道の神社についても。蝦夷と大和について学ぶことは、きっと私が人生をかけて続けること。

東北が気に入っているのも、きっとそれと無関係ではありません。Red Bull400を何度も取材したのも富良野に来ているのも、すべて繋がっていく。それは抗うことのできない大きな流れ。ただ、これで終わりではなく、まだ始まったばかりなのでしょう。

現代書館
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