
北海道から帰った翌日に物流倉庫でのアルバイト。やることの方向性が180度違いますが、どちらがいいということもなく、どちらも楽しいし、自分に必要なことだと思っています。もちろん快適なのは北海道ですが、快適さだけを求めて生きていないので。
快適というのはとても抽象的で、そして慣れてしまうものでもあります。たとえば同じ最高気温30℃でも、北海道の人と東京の人では快適さがまったく異なります。北海道は快適でしたが、そこに慣れてしまうと、暑さへの適性が薄れてしまいます。
北海道から離れないならそれでもいいのですが、私はさまざまな環境に身を置くことになるので、暑さへの適性が下がるのは困ります。そういう意味では、暑くて汗をかく、倉庫内での仕事というのは体力をつけるのにうってつけです。
人間というのは環境の変化に適応していけるという強さを備えています。それは物理的な環境の変化だけでなく、立場の変化などにも臨機応変に体重します。役職が人を育てると言いますが、偉い立場になれば人もそれに応じて偉そうになっていきます。
ランナーだって同じで、最初は1kmも走れなかった人が、ゆっくりと距離を積み重ねていき、気がつけばフルマラソンを完走します。それも慣れによるもの。ただ、慣れというのは変化だけでなく、それぞれのポテンシャルが引き出される現象でもあります。
適応して馴染んでいくのではなく、もともと備わっていたスキルをフル活用して、新しい環境を包み込んでしまう。ときどきそのような器の大きな人に出会うことがあります。何でも自分の器に取り込んでしまい、気がついたら自分のものにしている。

私がそのタイプではないので、少し羨ましく感じることはあります。ただ、それはないものねだり。私は時間をかけてて環境に馴染ませていき、気がつけばその環境に最初からいたかのような振る舞いをする。その才能には恵まれていたような気がします。
人間にはそれぞれ神様から与えられた才能があると仮定します。ただ、必ずしも世の中の役に立つとは限らない才能だとしたら、それを物語にすると面白い話ができそうです。たとえば、百発百中でその日の降水がわかる才能。ただ、家を出て10分後にわかるとします。
特別な能力なのに使い道がない。しかも制約があって自由自在でもない。そういう才能の短編を書くというのは面白そうです。試しにnoteで書いてみるのもいいかもしれません。誰にも読まれなくても、アウトプットすることで自分の頭の体操にはなります。
街を歩きながら「この人にはどんな才能があるか」を考えるのも楽しそうです。100%鳥のフンをかわせる才能とか、割り箸を綺麗に割れる才能とか。本人は当たり前にやっていて気づかないけど、実は神様からのギフトだとしたら面白そうじゃないですか。
私は発想力が乏しいので、そうやって柔軟に妄想するのがトレーニングになります。ただの妄想だと真面目な話になりますが、前提としてファンタジーとすれば、自分の中に眠っている何かを呼び起こせるのではないかと期待していたりもします。
脳のいつもと違う部分を使ってみる。失敗を恐れずにどんどん妄想してみる。その先に何が待っているのかはわかりませんが、いまそれを思いついたということは、未来につながることなんだと思います。だとすれば、まずは実行すること。妄想だけでは何も始まらないので。
