
「政府は私達を見殺しにする気か?」。そんな投稿を読んだときに、何とも言えない気持ちになりました。熊本での地震の被災者の声ということなので、取り扱いを間違うと大事になりそうですが、個人ブログなのでそういうことにはならないと信じて。
政府が国民を守る。私はその考え方に違和感を覚えます。いや、誰かに守ってもらうという考え方が、そもそも得意ではありません。別にそれは守られてこなかったという話ではなく、もちろんすでに多くの人に守られて生きていることは自覚しています。
でも、何かあったときに政府や他の人が助けてもらいたい、守ってもらいたいという思いはありません。いや、その発想すらありません。それは誰かを助けない、手を差し伸べないという話でもなく、少なくとも自分は誰にも依存するつもりはないという話です。
実際に大規模な災害があって、家に入らないとなると、私も避難所で暮らすことになるのでしょう。ただ、そこまで長く滞在することはないはずです。避難所で自分のできることをして、状況が落ち着いたら、まず間違いなくそこから去ることになります。
力を貸すことはしても、それに依存する存在することに気づいたら、差し出した手を躊躇なく引っ込めます。困ったときはお互い様。それは一方通行であってはいけません。それぞれが一定の我慢をして、全体が上手く回るようにベストを尽くす。
そんな組織が世の中にないことは知っています。人間は集団になると、どうしても手を抜く人が出てきます。集団に馴染まない人もいれば、猿山の大将になりたい人もいる。困難な状況を誰かのせいにしたい人もいるでしょう。政府の対応が悪いと喚き散らしたり。

ただ、そういうのは危機的な状況でその人の本質が表面化しただけで、実際には災害が発生する前に、どの人がどんな行動を取るかは決まっています。避難所で不平不満ばかり漏らす人は、元からそういう本質があり、自立できていないまま育ってしまったのでしょう。
平時にはさまざまな状況がそれを隠してくれますが、極限まで追い込まれる環境になると、それが顕になるわけです。そして私は嫌気がさして去る。予知能力はありませんが、50年も生きていれば自分の行動くらいは予測できます。
知らないうちに集団の中心的な立ち位置になり、いろいろ抱え込んで爆発する。これはどの組織に属しても確定した未来です。そのためには中心的な立ち位置にならなければよいのですが、仕事などになると普通に働いているだけで、どうしてもそうなってしまいます。
生きていれば不平不満はいくらでもあります。幸いなことに、私は自分にしか興味の対象になっていないので、他人に対する不平不満は余程のことがなければ起きません。ただ、人生の途中で別の道を選んでいたら、政府に依存するような生き方になっていた可能性はあります。
でも、政府に限らず何にも依存しないのが理想。依存をゼロにすることはできませんが、気概としては助けられる側にはなりたくないというスタンスでありたいものです。みんながそうなれば、それは大きなエネルギーとなり、多少の困難は乗り越えていけると信じています。
そのためには強力なリーダーシップが必要なのですが、私がリーダーになると疲弊して嫌になって立ち去ってしまうのはすでにお伝えしたとおり。大きな災害が起きたとき、自分がどのような振る舞いをすべきか、シミュレーションしておく必要はありそうです。実際にそう振る舞うかどうかは別として。
