自演:ランニングやマラソンは苦しいものではない

先日、アルバイトが早上がりになったので、職場から10kmほど走ってから電車に乗ることに。職場は少し高台にあるので、基本的には軽い下り基調というのもあって1時間ちょっとで到着。最寄り駅まで走ってから電車に乗るのと、帰宅時間はそれほど変わらないという結果に。

走れるというのは、移動の選択肢が増えることだと思っています。距離を聞いて、どれくらいで到着できるかをイメージできる。これはとても大切なことで、「だったら走ろう」となるのもランナーの強み。ランナーになって1番よかったことは、何があってもどこにいても帰宅できるということ。

たとえばアルバイト先で働いているときに地震があって、交通機関がすべて止まっても、自分の足で自宅まで帰れます。それが東京でも同じ。時間はかかっても自宅に戻れる。助けを求めている人の元に向かえるというのは、ランナーならではの強みです。


そんなに走って大変じゃない?と聞かれることがよくあります。走ることは大変なこと。もしくは苦痛でしかない。そういう考えの人は少なくありません。いや、どちらかといえばマジョリティ。走るという選択肢があるほうが、圧倒的にマイノリティです。

実際にチャリティ番組の24時間マラソンで、あれこれいちゃもんをつけるのはランナーです。それくらい12時間で走れるだろうとか。それはそれで事実なのですが、私が嫌なのは「24時間走る」ということが、チャレンジだと思われていること。

これは私だけの感覚かもしれませんが、24時間も走っていいというのはご褒美でしかありません。だから私は24時間裸足チャレンジをするわけです。あれを苦痛だと感じたことは1度もありません。自分がどこまでやれるのかを知りたいというのもありますが、好きでやっています。

なぜ24時間走ることがチャリティに繋がるのか。あくまでも私視点で考えると、テーマパークで24時間遊んでいるのを放送して、募金してくださいと言っているのと変わりません。好きなこと、楽しいことをしていて「募金してください」というのは、どうもピントを合わせられません。

実際に走っている人は大変なんだと思います。私も苦手なことを24時間続けるのは無理です(苦手なことなんてありませんが)。でも、なぜ走ることがそんなに大変なのか。人間の体は60kmくらいなら毎日移動できるように作られているのに。

それをできなくしているのは自分自身。24時間走るのを大変にしているのは自分自身であり、それを「大変」として感動を誘うのはただのマッチポンプでしかありません。自分で自分を弱らせている。その感覚がない人があまりにも多いなと。


毎日パソコンに向かって仕事して、電車やバスだけを使って移動する。それはとても便利で快適な環境ですが、当然ながら失われるものもあります。快適さや便利さは、私たちから体力も耐力も奪っていきます。利便性を追求した人間は、どんどん弱くなっていく。

でも過去に戻ることはできません。エアコンのない暮らしは無理ですし、水洗トイレのない世の中は考えられません。新幹線も飛行機も私たちの可能性を広げてくれます。それをなかったことにはできません。ただ、弱くなった体を鍛えることはできます。

普段から走ればいい。歩けばいい。5分でも10分でも、ひと駅でも。やることがプラスなのではなく、やらないことがマイナスなんだという意識。一定量の運動をしていないと私たちはどんどん弱っていく。その意識は常に頭に入れておかなくてはいけません。

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