1日は24時間。わかってはいるけど、2時間くらいおまけしてもらえないものかと思うわけです。特に仕事が詰まっているときには。自分のやりたいことの半分もできていない気分ですが、よく考えたら1年半前は自分のやりたいことの1/10も出来ていなかったわけで。
そういう意味では今の自分の状況は明らかに恵まれています。やりたいことをして、仕事として受けていることも、仕事量の調整ができていないことを除けば、不満はまったくありません。
そのうえ、人にも恵まれているわけですから、これ以上何を望むのかというような状態にあります。
言うまでもなくこの環境を得られたのは会社を辞めた結果です。ただ人生の転機ではあったものの、自分の中では必然であったようにも思えます。神様が「あいつはもっと働かせておけ」と部下に指示したに違いありません。
これだけ手がいっぱいなのに、どこかでランニングをきちんと教える場を作りたいと考えている自分がいます。ようやく自分流の走りが出来てきましたが、自分の身につくにつれて、理論的なものや理屈が頭から抜けてしまっています。
自分だけで楽しむならそれでいいのですが、例えば脊柱起立筋の動きですが、無意識でできるようになったため、言葉で説明できなくなって戸惑ったことが続きました。
そして、いろいろ記憶を辿りながらその動きを確認していたら、大事なことを忘れていたことに気づいたり、以前感じられなかった気づきがあったりしました。
人に教えていれば、もっとたくさんの発見があり、しかも大事なことを忘れずにいられます。
ただ「そんな時間がどこにあるのだ」ということになるわけです。そこで1日が26時間くらいならいいのになという、冒頭につながるわけです。
もちろんそんなことは起きるわけがありませんし、ライターという仕事はきちんと眠らないと仕事になりません。ベンチャー企業のトップがほとんど眠らずに仕事をしたということをよく耳にしますが、わたしはおそらくそういうタイプではありません。
質の高い仕事をするには質の高い睡眠が必要です。
ラン仲間でもあるクレイジーランナーの三州ツバ吉さんは、いつ寝ているのだろうと思うくらい、寝ている姿をほとんど見たことがありません。そういう人はすごいなとは思うものの、わたしはわたし。
結局わたしは欲張りなんでしょうね。
ラン仲間と一緒にワイワイ走りたい自分もいれば、1人で黙々と孤独に走りたい自分もいます。裸足で楽しく走りたい自分もいれば、シューズで速く走りたい自分もいます。相反するものをどちらも欲しがるという。
若い頃のわたしからは考えられないいまの姿。何にでも明確な答えを求めて、白黒はっきりさせることが好きだったわたし。気がつけば柔軟というか優柔不断というか、「答えなんてどうでもいいんだよ」なんて、ひどいことを言っています。
それでもやっぱり、自分のやりたいことつ実現していくことだけは諦めないようにします。まだあてもなく会社を辞めて1年半ですから、生きているだけで大成功という段階。
それなのにあまりにもすごい人たちと出会っていくため、自分ももっと高いところにいかなくてはと焦ってしまいそうになりますが、時間が足りないと感じるのは、ある意味そこが今の自分の限界です。
時間が足りないことを嘆くのではなく、与えられた24時間を利用してどう生きていくのかを考える。きっとわたしがしなくてはいけないことはそこにあります。
マラソンシーズンも終わったことですし、少しだけ立ち止まって周りを見てみようと思います。もちろんいただいた仕事はしっかり行ったうえで、ですが。
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