姪っ子の卒業式があり留守番と子守を頼まれていました。ところが家族みんなで体調不良らしく、そのお仕事はなし。とりあえず卒業祝いのプレゼントを渡しに家まで訪問してきました。
いまどきの中学生の女の子が何をもらったら嬉しいのかがまったくわからず、悩むこと2時間・・・プレゼントは気に入ってもらえたかどうか。
実はプレゼントで悩むのは好き。
一日かけてプレゼントを考えるというようなことを、以前はよくやってました。最近はお酒か食べ物なのであまり悩まず。しかも鳩サブレが喜ばれることを知ってからは……あれ、みんななんで好きなんでしょう。
プレゼントは相手のことをよく考えて選ぶわけです。喜んでくれるかな、似合うかな。この相手のことを考えている時間こそが、ほんとうの意味でのプレゼントなんじゃないかと思うときがあります。
以前ブログで書いたのですが、プレゼントをあげるときは「サプライズ」を意識します。受け取った人が「えっ?」てなるのが理想です。
例えば1個1000円のみかん。絶対に自分では買わない。しかも食べたらなくなるわけです。形は残らず記憶は残る。これがわたしにとってベストなプレゼントです。
形に残るものというのはなかなか厄介です。わたしなんかはプレゼントしたら忘れてしまうタイプなので、あげたものを煮られても焼かれても別に気にはしないのですが、人によっては「わたしがあげたもの」と覚えています。
それを粗末に扱おうもんならタイヘンです。いや、粗末に扱ったほうが悪いんですが。
でもどんなものでも命があって、その命は永遠ではありません。形あるものはいつかその役割を果たして、命が尽きてしまいます。
衣類などはその典型です。もっともしっかりした作りの服は、形を変えて新しい命を吹き込むことができます。ところが最近のファストファッションで使われる布地は台ふきんくらいにしかなりません。
それはいいとして、生命が尽きたものは、いつまでも手元に置いておくべきではないというのがわたしの考え方です。だから手放したいけど、プレゼントしてくれた人の想いがこもっているとそう簡単には手放せません。
きっとそういう人が多いと思います。
だからわたしはプレゼントは形に残らないものを選びます。形に残るものを欲しがる人もいるかもしれませんが。でもやっぱり、大事なのはその人のことを思って選んでいる時間なんです。何をプレゼントしたかは実は大きな問題ではありません。
でもさすがに今回は形に残るものにしました。文房具以外の実用的なもの。
中学生になる女子がもらって嬉しくて、そのうえ実用的なもので刹那的でもないもの。最初はシャーペンにするつもりだったんですよ。無難ですが、小学生が持ってなくて中学生に必要なものといえばシャーペンです。
有隣堂まで行きましたよ。でも違うなと。
卒業&入学祝いですよ。1000円のシャーペンをあげても仕方ありません。じゃあ5000円のシャーペン?いやいや、なんだその意味の分からないお金の使い方。1000円のみかんとはちょっと意味が違う。
万年筆ならまだ分からなくもないのですが、中学生に万年筆というのはやっぱりちょっと違います。
次に考えたのがデジカメです。でも最近スマホを買ってもらったらしいので、中途半端なものはダメです。最低限スマホとつなぐことができるデジカメ。
……高いやん。
少なくとも自分なら欲しいと思えるデザインのものは、みんなうちの家賃よりも高いわけです。喜んでもらえるかどうかわからないものにそれはちょっと。
カメラ好きとか、写真付きとかなら一眼レフだってあげたいところです。それで悩みに悩んだわけです。藤沢滞在時間2時間半。買うものの種類を決めてからはさらにどれにするか悩む。
悩みすぎて、途中で立ち食いそばブレイクを入れるほど。
何をあげたかは秘密ですが、われながら頑張ったと思います。姪っ子へのプレゼントでここまで悩むんですから、恋人なんかできたら大事です。典型的な取らぬ狸のなんとかですが。
でもやっぱり、そうやって悩む時間はすごく好きです。
答えのわからない複雑な数式を問いているような感覚。理系の人ならなんとなくわかってもらえると思います。その解が見つかったときの嬉しさは、どちらもよく似ています。「これで間違いない」となったときの、すっとはまるような感覚。
いつかは自分が本当にいいと思ったものを、プレゼントできるようになると思うんですけどね。和紙布シューズとか。わたしが愛用しているものは、こういうときのプレゼント向きでないものか高すぎるものばかり。
どれもランナーにはおすすめですが、中学生になる女子にはね。
今回はいろいろ勉強にもなりました。久しぶりに真剣に悩んだような気もしますし。自分以外の人のことを考える時間を大切にしたいものです。
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