アスリートが輝ける時間というのはとても短いのだなと感じます。わたしにとってアスリートの引退は、自分よりも年上の人が行うものという感覚がありました。
ところが浅田真央さんの引退で「年下の人が引退する」ということになったわけですが、どうもうまく受け入れることができません。もちろんこれまでに年下の人が引退してきたのを、何度も見てきたはずです。
ところが今回はすっきりと消化できません。
浅田真央さんの年齢があまりにも離れているからかもしれません。26歳ですからひと回り以上も若いわけです。26歳でトップレベルを維持することができなくなるスポーツ。
フィギュアスケートだけではありませんが、スポーツというのはなんとも過酷なものなのでしょう。
その一方で50歳になってJリーグで点を取っているアスリートがいます。43歳になってメジャーリーグで戦っているアスリートもいます。彼らにとって年齢は数字でしかなく、いま戦えるのだから戦っているそれだけなのでしょう。
マラソンは比較的選手寿命の長いスポーツですが、それでも少し前に山の神と呼ばれた柏原竜二さんが引退しました。高橋尚子さんは「わたしはもう自己ベストを更新することができない」と言っていました。
アスリートとして生きていくことの難しさ。成功することも難しく、人生の折り返し地点にも来ていないところで、これまで歩んできた道が途切れるわけです。そのあとはどうするのか?
タレントとして生き残っていく人もいれば、携わってきた競技から離れられずに生き続けていく人もいます。
わたし個人の感覚ですが、アスリートだった人がタレントになって、バラエティ番組に出ているのを見るのが好きではありません。彼ら、彼女らは生きていくためにその道を選んだのでしょうから、わたしがとやかく言うことではありませんが、それを美しいとは思えません。
わたしは散り際の美しさというのも人として大事にしたいと考えています。例えば中田英寿の引退はかなり美しかったと思いますし、その後に精力的に動き回っているにも関わらずマスコミの前には出てきません。
現役時代にマスコミ嫌いだったのですから、引退してまでマスコミに会いたくないというのもあるのでしょうが、その姿勢がわたしは好きです。
アスリートだった人がタレントとしてテレビに出ているのを見ると、なぜだか居心地が悪い気持ちになります。その活躍がすごかった人ほど、痛々しい感じしかしません。
ひとつのスポーツを極めた人に対しては、人間としても尊敬できる人であって欲しい。そういう願望のようなものがあるのかもしれません。ところがアスリートだって人間です。いや、その人から競技を取ると本当にどうしようもない人だということがあります。
トップアスリート全員がイチローさんのように、深みのある言葉を話せるわけではありません。
むしろタレントになっている人の多くは、笑われるための役回りとしてそこにいます。浅田真央さんの引退時に織田信成さんの泣く姿が話題になったそうですが、トップアスリートだった彼が笑われるためにテレビに出ています。
松野明美さん、具志堅用高さん、長嶋一茂さんのようなアスリートタレントさんは、笑わせているのではなく、笑われているのです。本人たちはそれでいいのでしょうが、やっぱりわたしとしては気持ちよくありません。
せめてタレントではなく文化人としてテレビに出るなら、その競技の解説のためにテレビに出るならまだいいのですが、厳しい競技の世界で生命を削って戦ってきた人たちが笑われる姿は見るに堪えません。
世の中では受け入れられているのでしょうから、わたしの感覚のほうがおかしいのでしょう。それは十分に自覚しています。
アスリートとして注目を浴び続けてきた人は、どんな形であれ注目されていたいという思いが強いのかもしれません。もしくは注目されなくなることへの恐怖心。
アスリートとして成功することと、人間として成長することは必ずしも一致するわけではない。
できることなら、そうは思いたくないのですが、わたしたち一般人が辿り着けない境地にまで入れる人もいれば、競技を取ってしまうと、本当に何も残らないという人もいるのが現実です。
さて、浅田真央さんはいたるところから引く手あまたとのことですが、若い彼女がこれからどんな道を選ぶのでしょう。できることなら、彼女の演技のように凛とした美しさを貫く人生を歩んでもらいたいところです。
みんなはバラエティ番組でその姿を見たいのかもしれませんが。
スポンサーリンク
コメント