わたしは影響を受けやすいタイプです。特に読んだ本から受けている影響は多大です。IWGPシリーズを読んでいると、気分は都会のトラブルシューターで、岳飛伝や楊令伝を読んでいるときは志のある軍人。
そのとき次第で、自分らしさなんて言うものは簡単に変わります。
なので、自分のことを影響力のある人間だとは思っていないのですが、情報発信をしている以上、なんらかの影響を与える存在なのかなとも思います。自慢しているのではなく、不思議なものだと感じているだけです。
わたしよりも華のある人をいっぱい知っていますし、周りにたくさんいます。でもその人たちが必ずしも影響力があるというわけではありません。
その人がいるだけで、その場の空気が一気に明るくなるような人がいます。わたしにはそういう力がありませんので、正直なところ羨ましいなとは思います。もちろんそれはその人の一面でしかなく、どんな人だっていつもひまわりのように明るくいられるわけではないことくらい知っています。
そういう華やかな人でも、それほど影響力があるわけではなく、一見すると華やかさがまったくないのに、その世界では言葉の一つひとつがとても重く、誰もが注目している人もいます。
その人のファッションだけでなくライフスタイルや、生き方そのものまで憧れの対象になるような人。最近の言葉で言えばインフルエンサーと呼ばれる人たち。
いったいどんな人がインフルエンサーになるのでしょう?
それはカリスマ性のように、持って生まれたものがすべてなのか、それとも後天的に得られるものなのでしょうか。自分らしさを貫いていても、それはただ孤立するだけですが、自分らしさのない人はインフルエンサーにはなれません。
わたし自身も個性を意図的に出していくことで、この世界での立ち位置を確立しようとしていますが、少なくともわたしのスタイルを真似ようという人には出会ったことがありません。
真似ようとしたり、一目を置かれたりすると困惑するだけなので、いまの生暖かく見守ってくれるくらいの環境がわたしにとってはちょうどいいのですが、もしこのままわたしが自分らしさを10年貫けばわたしも影響力を持つのでしょうか。
ちょっとそんな未来は想像もできません。
そもそもわたしがいつも伝えていることは、自分で考えることの大切さですし、誰かと同じになることで安心するのではなく、誰かと同じになることに対して焦りを感じてもらいたいということです。
違う考え方の人がお互いを尊重しあえたら、もっと毎日が楽しくなるはずです。
世の中には色んな人がいてもいいのだということを、伝えることがわたしの役割です。ただ世の中には色んな人がいるという考え方に対して影響を与えているではないかという矛盾も含みますが。
わたしが言葉にしたことをそのまま鵜呑みにするのではなく、自分なりに消化して、「自分はこう考える」「ある部分は賛成できるけど、ある部分は賛成できない」と言ってくれるような影響の与え方ができればベストです。
わたしの言葉は自分で考えるためのきっかけに過ぎず、わたしの言葉が正しいなんて、絶対に思わないで欲しいわけです。
これはずっと言い続けていることで、これからも言い続けますが、人は考え方が違うから一緒にいて面白いわけで、馴れ合いや同じ考え方の人ばかり集まってもそこからは何も生まれません。
下手するとただの傷を舐め合うだけのこと。
そうやっておかしくなっていったグループや、影響力が狂ってしまった人をこれまでたくさん見てきました。異質なものを受け入れなくなった途端、人は成長することをやめてしまいます。
異質なものを一度受け入れるからこそ、これまでになかった発想が生まれてきます。
わたしが本を読むのも、自分とはまったく考え方の違う何かに触れることができるからです。自分の知らない世界に足を踏み入れて、固くなっている自分の頭の中をほぐしていきます。
誰かの影響を受けるというのは決して悪いことではありませんが、大事なのは表面的に真似をするのではなく、その本質を掴んで、自分なりに消化していくことです。
10代や20代前半なら真似することから始めてもいいですが。
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