走れるような自分を取り戻すために、リスタートするという話をしたところ、このブログを読んでいる方から「練習メニューを公開してアドバイスをもらえばいいのでは」というコメントをいただきました。
速くなるためなら確かにその通りで、なんだったらランニングクラブにでも入ったほうが効率よく速くなれます。
でも、そこには多くの人が陥る大きな間違いがあります。自分が速くなるための目的はどこにあるのか、その考え方を無視してしまうと、本末転倒になってしまいます。
わたしが速く走りたいのは、その過程を楽しみたいのであって、速く走るというのはその努力の方向性であり、結果でしかありません。そしてわたしが速くなる過程で好きなのは試行錯誤をするところです。
最近は、すぐに答えを出すことが求められる時代になってしまいました。
There is more to life than increasing its speed.
「速度を上げるばかりが人生ではない」
ガンジーの言葉です。ここでいう速度というのはマラソンの速度の話ではありません。いやそれも当てはまりますが、ここでは「すぐに結果を出すことだけが人生ではない」とわたしは解釈しています。
もしわたしがオリンピック出場を目指すランナーなら、アドバイスを受けならが練習をして速くなることを目指すべきです。しかしながらわたしはランに関しては凡人の域を超えることはありません。
だとしたら、急いで結果を出そうとする必要はなく、悩み苦しみながら自分なりの方法で速くなることを目指したほうが、人生として得られるものは間違いなく大きいと考えています。
すべての人がわたしと同じというわけではないでしょうが、男には志というものがあります。女性にもあるかもしれませんが、女性のことはわかりません。わたしが、これはと思う男はみなそれぞれに志があります。
世界を変えたいと本気で考えている人もいれば、大切な家族を守り抜くと心に誓っている人もいます。
ところが、その志があるにも関わらず、目先の目標を目指す過程で志に反することをしてしまうことがあります。お客様の笑顔のためにと言っている会社が、お客様の笑顔よりも自社の利益を優先するというのはよくあることです。
自分の志をどれだけブレさせずにいられるか。これは生きていく上でとても重要な事です。
そのためには、嫌になるくらい長い時間をかけて自分と向き合っていかなくてはいけません。自己啓発本を何冊読んだところで、ブレない志は作れません。
自分が何のために生きているのか、執拗なまでに問い続けることだけで、その土台が揺るぎないものになります。
決して安易な答えに飛びつかないこと。すぐに結果を出すことにこだわらないこと。そして何よりも自分自身で考えるということです。どんなときも答えを出すのは自分自身です。
自分が生きている理由は何なのか。多くの人が若いうちにそれについて考え、そして大人になってそれを考えることをやめてしまいます。だからブレない志を持つことができません。
わたしは情報発信をしながらも、自分で考えることの大切さを伝えてきたつもりです。実際にそれが届いているかどうかはわかりませんが、試行錯誤することの楽しさや、自分で考えることの重要性を訴えてきました。
そんなわたしが、速くなりたいという目先の目標に対して、自分で考えることを辞めて安易な方法に飛びついたらどうなるでしょう。これまで言ってきたことは何だったのかということになります。
それはもう、自己否定のようなものです。志がガラガラと音を立てて崩れていきます。
わたしにとって生きるということは、志を守りぬくことであり、そのために行動をするということです。例え年収が何十億円になったとしても、志を捨てたならそれは生きているとは言えません。
反対に志さえあれば、どうやってでも生きていくことができます。
理想だけでは生きてはいけないという賢い大人がたくさんいますが、理想や志を捨てて生きることになんの意味があるのでしょう。まずは理想や理念があり、そのために目的や手段があります。
このときの優先順位を間違ってはいけません。
「でもね、人間はそんな強く生きられないんだよ」そう教えてくれる人もいましたが、強く生きられないと決めつけてしまったら、それはそうだろうと思います。そんな人たちまでなんとかしようなんてこと、わたしは考えていません。
強く生きたくないけど、志は持ちたいし自分らしくいたい。楽して何かを得たいという人は2000円握りしめて自己啓発本でも買ってくれば、一瞬だけ何かを得たような気分になるので、そちらを選べばいいかと思います。
自分らしさを守り抜くために、自分の志を守り抜くためにもがき苦しみながらも一歩を踏み出す人、そういう人にだけこの言葉が届けばいいと、わたしは考えています。
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