「世の中が間違っている」「おかしな時代になった」よく耳にする言葉ですが、これほどまでに無責任な言葉はないとわたしは考えています。世の中がおかしいことになっているのは、まるで自分は関わっていないかのような言葉。
わたしたちは、ときどき評論家のような無責任な言葉を使ってしまいます。ちょっと賢そうに聞こえますし、自分はそんなおかしなことには加担していない、自分だけはまともなのだと主張しまう。
少し前に書いた記事に対してfacebookで「なんでも禁止になる世の中は寂しい」というニュアンスのコメントをもらいましたが、なんでも禁止になる世の中だって、どこかの偉い人や神様が勝手にそうしたわけではありません。
言ってみれば、「なんでも禁止になる世の中」は今を生きるわたしたちの総意です。
総意が正しいかどうかの議論はここではしません。ただ、いまの窮屈な世界というのは、紛れもなくわたしたちの感情によって作られたものです。
テレビ番組が面白くなくなってきたと、ずっと言われていますが、いまのようなテレビ番組にしたのは、視聴者側の嗜好や心理が大きく影響しています。どんなことだって自分が加担していないことなんて何もありません。
だからどうということはないのですが、自分のやることが上手く行かないことに対して、周りのせいにする人が思ったよりも多いということに少し危機感を持っています。
独立して仕事を始めたけど、いい仕事をもらえないのは業界の仕組みがおかしいから。毎日走ろうと思ったのに、継続できないのは、遅くまで残業をしなければいけない会社のせいで走れない。
そういう、自分以外に責任をなすりつけることはとても楽です。でもそこからは何も生まれません。
少なくとも自分がやっていることに関して、上手く行かないことは、すべて自分の責任です。他の人はどう思っているかはわかりませんが、わたしはそう考えて日々を過ごしています。
誰かに嫌な言葉を掛けられても、足元を救われるようなことがあっても、すべての原因は自分にあります。
そう考えれば必ず出口が見えてきます。上手く行かないことを誰かのほかの人や、世の中のせいにすると絶対に出口は見つかりません。そこにあるのは出口のない諍いだけです。
もちろん自分に責任があるからといって、いつも自分を曲げる必要はありません。どちらかといえば、割り切りのほうが大事かもしれません。自分がこんな目に合うのは自分のせいだけど、そんな自分を曲げるつもりはないから、これは仕方がない。
もちろん、どうでもいいことに固執する必要はなく、考え方というのは常に柳のようにしなやかであるべきです。
自分がおかしい前提で、自分を変化させるのか、それともいままでの自分を通すのか。ただ、自分の中で絶対に曲げられないことなんて、そう多くはないはずです。命がけで守るべきものなんて、人生で数個あればいいところ。
自分が大事だと思いこんでいるものならたくさんありそうですが。
自分の考えている「あたり前」というのは、ほとんどの場合で絶対的なものではありません。そのあたり前は、隣の国に行くだけで、間違った考え方になることもあります。家族内だけのあたり前が、世の中では非常識だったりもします。
自分の中のあたり前は、自分に近い人たちの影響を受けて形成されます。常識なんてその程度のものです。
自分に近い人たちもまた、周りの他の人の影響を受けています。この世界で、完全に孤立した人間なんていません。すべての人が思考のネットワークでつながっています。
だから、世の中でおきた憂鬱になるような事件は、すべて自分には無関係とは言えません。世界中というとさすがに大きすぎてイメージしにくいのですが、少なくともこの国においては、この国のおかしな部分に関しては、わたしたちみんなの総意です。
毎日遅くまで残業しなくてはいけない働き方も、上司が帰らないと部下が帰りにくいという風潮も、政治家が闇献金を受け取るということも、他人事ではありません。自分たちがそれを築き上げているということに気づいてください。
テレビニュースなどで「大変な世の中になりました」とキャスターが口にすると、わたしは気分が悪くなります。まるで自分は清廉潔白で、自分のような人ばかりなら世の中はもっと良くなるという思い上がり。
そういうニュースキャスターが不祥事を起こしたりする世の中ですから、もう何がなんだかわかりません。
大変な世の中にしたのは、わたしであり、そのニュースキャスターであり、世の中のすべての人です。事件に関わった人だけを責めても、世の中は変わりません。
織田フィールドが裸足で走れなくなったとき、それに関わった人だけを責めても、それが改善されるようなことはありません。自分たちだけが正しいと主張する考えから生まれるのは争いだけ。
自分は悪くない。
そういう考え方を手放すことはとても難しいことですし、それを強要するつもりもありません。でも「自分は悪くない(少なくとも自分の中だけでは)」くらいの感覚でいてもらえればなと思います。
できればもう一歩踏み込んで、「自分が相手のことを考えられないように、相手も自分のことを考えられない」だからうまくいかないのだということを考えられるようになると、ずいぶんイライラする回数も減るのではないかと思います。
繰り返しになりますが、自分の考えを曲げる必要はありません。自分の考え方と違う人がいるということを認めること。その人を頭ごなしに否定しないこと。大事なのはそれだけです。
そして自分自身をの世の中の構成員の1人であることを認識し、無責任に「世の中が悪い」なんてことは口にしないようにしてみませんか。語るべきことは理想の未来のために、自分は何をすべきかということ。
世の中を変えるのはそうした一人ひとりの考え方の変化ではないかと、わたしは思います。
著者:千田 琢哉
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