映画の日ということで、毎月1日は仕事はできるだけせずに映画を観に行くようにしています。ただ、今回はあまり観たいと思えるものがなかなか見つからず、厚木のミニシアター「アミューあつぎ映画.comシネマ」をチェック。
タイトルだけではあまりピンとくるものがなく、一応と思って予告を見始めたら引っかかる映画が1本ありました。「オリーブの樹は呼んでいる」スペインの映画でした。
わたしは基本的に洋画をあまり観ないのですが、英語でなければ完全にわからないために、言葉と字幕がごちゃごちゃになることはないので、ヨーロッパ系の映画はたまに観ます。
ストーリーは、おじいちゃんが大切にしていた樹齢2000年のオリーブの木を取り戻しに、孫娘と仲間がスペインのバレンシアからドイツまで旅するというもの。
孫娘というのがこれがもうすごい直情的で、頭で考えるより先に行動してしまうタイプ。そして思い立ったらじっとしていられない。典型的という表現は合わないかもしれませんが、典型的なラテン系です。
それでも、その直情的になるための根っこの部分はとても共感できるところがあります。彼女にとって、人生を賭けてやり遂げなくてはいけないことがある。それがバレンシアからドイツまでの旅でした。
映画の内容をここに書き綴るつもりはありません。ただ、久しぶりにグッとくる映画だったなと。
本当はとにかく笑える映画を観たかったのですが、「オリーブの樹は呼んでいる」を良かったなと思います。涙を流すことはありませんでしたが、知らないうちに目から涙が2度ほど溢れそうになっていました。
それは決して悲しいというものではなく、わたしの人生ではあまり感じたことのない感情での涙でした。寂しさとか悲しさとは別の理由で流れそうになる涙。これはいったい何なのでしょう。
もちろん嬉しさとも違います。どちらかと言うと安堵の気持ちに近いでしょうか。「良かった」という感情がこんなにも昂るものだと初めて知りました。
そして人の心を動かすのは、やっぱり頭で考えた行動ではなく、理屈抜きで「やらなきゃいけない」という強い意志や情熱だということを改めて感じさせてもらいました。
これは映画だからということではなく、自分が何か行動を起こすときに、それに興味を持ってもらったり、なんとかしたい、関わりたいと思ってもらうには理屈は邪魔者でしかありません。
もっと本能的に、まっすぐに自分の想いを行動に移したとき、人はそれを見てアクションを起こしてくれます。
偉そうな能書きをいくら話しても、人は本気になって行動をしてくれません。
ただ、この映画では「嘘」がもう1つのテーマになっています。主人公の孫娘は、自分の成し遂げたいことのために大きな嘘をつきます。その嘘が発覚したときに人はどんな気持ちになるのか。
嘘をついた人も、嘘をつかれた人も幸せになることはありません。
その結末については「オリーブの樹は呼んでいる」を観てもらいたいところですが、ミニシアターで上映されるような映画ですので、おそらく多くの人は観るチャンスもないのかもしれません。
ですので、ひとつだけわたしの感じたことを伝えておきましょう。嘘をついたことの重さに気づき、素直に謝ることができれば、人はまたつながることができる。いや、これまで以上に深い絆をつくることができるということです。
そこで自分の嘘を正当化させようとする人だらけの世の中ですが、きちんと謝ることとそれを許す懐の深さ。日本人にはそういうものが少し欠けているのかもしれません。
もちろん、その欠けている部分があるから、真面目すぎるとことがあるから、日本人は戦後から立ち直ることができたのでしょうから、足りない部分をどうこう言っても仕方ありません。
他の人はともかく自分はどうするべきなのか。
わたしは割りと器も小さく、懐も浅い人間です。「許せない」となると、どれだけ親しかった人でも縁遠くなります。自分でも良くないなとは思うのですが、笑って許すということがとても苦手です。
「オリーブの樹は呼んでいる」を観たからといって、自分の考え方が簡単に覆るとも思いません。でも、そういう人間関係の築き方もあるのだなということを感じられたことは、きっとこれからの人生のどこかで役立つはずです。
許せないと思った人を、どれだけ受け入れることができるようになるのか。フルマラソンを3時間以内で走ることよりももっと大きなわたしの課題です。
一生かかっても懐の深い自分にはなれないかもしれませんが、ほんの少しだけ歩み寄ってみる勇気を持ってみようかなとは思います。
「オリーブの樹は呼んでいる」公式サイト
http://olive-tree-jp.com
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