先日、ランサーズというクラウドソーシングサービスを提供している会社の、10周年記念イベントに参加してきました。わたしはランサーズを使って2年ちょっとまだまだ初級者ですが、そこに呼んでもらえるのがありがたい。
正確には自ら応募したのですが、案内が送られてくるのは全員というわけではありませんので、まぁそこそこには利用している人と認識されてはいるようです。
以前はもっと小さな座談会にも呼んでもらいましたので、そのときに小さな爪痕は残せたのかなと。
実際のところいまはランサーズでの収入は全体の1/3程度です。個人で受けている仕事もありますし、ランニング関係の収入もあります。それでもランサーズがあったからこそ今の自分があったのは間違いありません。
後先考えずに会社を辞めて、そこで物書きとして生きていくことを決められたのも、ランサーズというクラウドソーシングの働き方があったからです。
クラウドソーシングというのは、クライアントが社外の不特定多数の人に業務の外注をするスタイルの仕事で、ランサーズはその仲介に入っているサービスだと思ってもらえれば分かりやすいかと思います。
その中でもライターという仕事は、特殊技能がいらないと思われているところもあり、手軽に初められる仕事という印象を持って始める人も少なくないようです。
Webサイトの作成や、イラストなどの仕事は特殊技能が求められます。ところがライティングなんて誰にでもできます。質を問わなければ…ですが。
誰でもできる仕事だから片手間にやってみよう。そういうライターが大勢います。ただ、そのほとんどが驚くような安い単価の仕事しかできなかったり、仕事を請けても継続できなかったりします。
その理由のひとつは完全に技術力不足によるものです。ライティングなんて誰にでもできますが、センスがある人や本の虫のような人でないと仕事にはなりません。
イベントで何人かのライターさんと話をしましたが、自分たちに仕事があるのは、びっくりするくらいひどい文章を書く人たちがたくさんいるからだと教えてもらいました。
わたしは文章なんて誰でも書けると思っているタイプですので、話半分で聞いていましたが、それは決して冗談でもなんでもないようです。わたしレベルの文章でも安定して仕事があるという現実がそれを物語っています。
「わたしなんて」というつもりはありませんが、村上龍さんや浅田次郎さん、伊集院静さんなどの文章を目にすると、わたしの文章の稚拙さばかりが気になって恥ずかしくなります。
その稚拙な文章でも、ほとんど修正なしで納品してもらっています。
もうひとつ継続できない理由として考えられるのは覚悟のなさではないかと思っています。ライティングで食べていけるような人は、その覚悟の大きさが違います。
他の人は知りませんが、わたしは1日16時間働いていた時期がありましたし、いまでもそういう日があります。1日2万文字を書くのは普通のことです。それくらいしないと、物書きとして基本を学んできた人の背中が届かないからです。
この2年間は本当に苦しい時期が続きましたが、ライティングで食べている人の多くが似たような経験をしているはずです。誰もが苦しさを乗り越えて物書きとしての仕事に就いています。
ところが、新しくライターになろうという人は、もっと気軽に、それこそ金のなる木を手に入れたくらいの気持ちで始めているような気がします。あたり前ですが、この世界には金のなる木はありません。
最近は仮想通貨みたいな金のなる木がもてはやされてますが、あれは手を出す人の力量が問われます。浅田次郎さんの蒼穹の昴に出て来る龍玉のようなものです。
龍玉はその資格がない人が手を出すと、体は粉々になってしまうという設定になっています。資格がない人が仮想通貨に手を出すと、身を滅ぼすのは間違いありません。あの世界で生き残るのは資格のある人だけ。
自分にその資格があると思うなら手を出せばいいと思いますが、わたしは体が砕けるのは困るので、手を出そうとは思いません。1文字書いていくらかもらっているほうが性に合います。
ただ、ライティングでも金のなる木を求めている人は、やはり長く書き続けることができないようです。小遣い稼ぎのように1日1000文字程度書いて「思ったよりも稼げない」と思って、それでお終い。
ライティングで食べていくには1日16時間2万文字以上を365日書き続けることです。
そうすれば金のなる木は手に入らなくても、その木の苗くらいは授けてもらえます。そこから金がなるまで、手間と時間をかけていけば、死ぬまでになんとか金のなる木には育つかもしれません。
ようは、楽して儲けられる方法なんてどこにもないということです。
特にフリーランスは「ワークライフバランス」という言葉の乱用によって、仕事を減らすことばかり注力されていますが、仕事をしなくて何が人生かとわたしは思います。
いや、辛かったりストレスがたまるような仕事を続ける意味があるのか問いたいところです。会社員でも月曜日の朝が来るのが待ち遠しい。そういう人でないとフリーランスで成功することはまずありません。
働くことの楽しさを知り、生きることとは働くことだと言い切れるならフリーランスで、ライティングという生き方を選ぶことができます。
そういう厳しい部分も誰かが言っていかなければいけないのですが、それを口にする人は少数派です。だからわたしもフリーランスで働くということについて情報発信をしていかなくてはいけないような気がしています。
その情報発信の場がここなのか、別のブログなのかは分かりませんが、フリーランスの現実を伝えること。これもわたしの役割のひとつのように考えています。
そしてまた物書きとしてやらなければいけないことが増えていくわけです。わたしに積んであるガンプラを組み立てられる日がやってくるのでしょうか。
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