男と男の正しい距離のとり方は父から学んだ

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今日は父の命日です。このブログを書いているのが1月10日の夜なので、ブログの公開日的には昨日ですが。

実は亡くなってから数年間は、1月10日が命日だということを忘れていたというか、その日から心が逃げていたような気がします。前日には覚えているのに当日になったら忘れているという年が続きました。

ところがこの数年はちゃんと覚えてて、父の好きだったビール(亡くなる前くらいは発泡酒ばかりでしたが)を飲みながら少し昔のことを思い出したりします。

とはいえ、わたしと父の間にはそれほどたくさんの思い出があるわけではありません。もちろん小さい頃には遊んでもらっていましたが、いかんせん記憶力の悪いわたし。

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わたしが小学生くらいのとき、仕事の都合で父の休みが水曜日でした。わたしはそこそこ忙しい小学生で、土日は少年野球があり、書道教室やスイミングクラブにも通っていたので、予定のない平日が1日くらいしかありません。

そういう育ち方をしたからか、わたしが大きくなってからも父との間には一定の距離感というものがありました。それはネガティブなものというよりは、男と男の正しい距離感だったように思えます。

父は親として言いたいことがいくつもあったのでしょうが、1人の男として向き合ってもらえたような気がします。おかげで社会人なってからも、それぞれが交わることはなかったのですが、男はそれでいいと今でも思っています。

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言葉で語り合わなくても伝わるものはありますし、言葉にしないからこそ大切にしようと思えることがあります。

父を亡くす直前に、わたしは最初の独立をしていました。もちろん父にも母にも相談していません。人生において重要なことは自分で決める。「自分で考えること」2人の姉妹がどう育てられたかは分かりませんが、少なくともわたしは、それを徹底されました。

「他の人が」「みんなが」という言葉での抵抗は何の意味もありませんでした。なんだったら体温計ですら関係ありません。朝起きて熱があっも「熱があるかどうかは関係ない、あんたが行けるかどうかで決めなさい」と。

もっともこれは母のエピソードですが、少なくともそれに対して父は助け舟を出してくれることはありません。その存在があるだけで助け舟にはなっていましたが。

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自分で考えて決めたことで反対されたのは「大学に行かない」と言ったときくらいでしょうか。それはさすがに人生の一大事ということで、母が父と話をするようにと言い、父と外食をしながらわたしは進学を説得されました。

説得というほどのことではありません。「大学だけは行っておけ」それだけです。反対する必要はありません。普段会話をしないからこそ、その一言に重みがあります。その重みを感じられるくらいの育てられ方をしています。

結局大学どころか大学院にまで行っているのですから、人生は何があるか分かりません。

関西から関東の大学に行くと決めたのも、反対されませんでした。とにかく大学に行ってくれればいいと思っていたのでしょう。わたしの通っていた高校はほどほどの進学校でしたが、現役で産近甲龍、一浪して関関同立が普通でした。

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そんな中、誰も聞いたことのないような関東の大学の試験を受けるというわたし。わたしだって、そこそこ名の通った大学に行きたかったのですが、学年で後ろから3番に入るくらいの劣等生のわたしにそんな実力はありません。

大学に行けとは言われましたが、いい大学に行けとは一度も言われなかったことが、わたしにとっての救いであり幸運だったのかもしれません。鶏口牛後、運良くいい大学に入っても、わたしの能力では牛後がいいところです。

最も、わたしが入学した湘南工科大学でもわたしの実力からしたら牛後です。何がどうしたのか分かりませんが、特待生試験に合格したことで、知らぬ間に鶏口となり、その地位を守るために必死になって勉強して4年間学費免除で卒業しました。

その4年間で身につけた勉強する姿勢というのは、わたしにとって大きな宝となっています。「一浪して関関同立を目指せ」なんて言われていたら、今のわたしは存在せず、割りと平凡な人生を送っていたかもしれません。

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言葉を交わさなかったため、尊敬していると言えるほど父のことを知りません。でも言葉に出来ないくらいの感謝の気持ちはいつも持ち続けています。

そして、人生はいつ終わるかわからないというあたり前のことを、最後に教えてくれました。

今夜終わるかもしれない人生なら、今を全力で生きるしかありません。心が動いた瞬間に、迷うことなく行動に移すことの大切さを、わたしは父から教わりました。

父はもういませんが、教わったいくつかのことはわたしの中で生き続けています。それを継ぐ相手がいないことだけは、申し訳ないなとは思いますが、これもわたしが考えて選んだ道です。

2018年01月10日23時57分01秒

そんな命日のビールを飲み終えて届くことのない言葉をつぶやく。

「あなたのおかげで今日も面白おかしく生きています」


お父さん、だいじょうぶ?日記
著者:加瀬 健太郎
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