モノを手放したくなる衝動と走ることに対する闘争心の関係

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昨日は姉の引っ越しの手伝いで鎌倉へ。鶴巻温泉から鎌倉まで1時間半。同じ神奈川でもかなりの遠距離移動な気分です。人の引っ越しを手伝うと思うのは、もっと自分の荷物を減らさなくてはということです。

このネタは定期的に書いてる気がしますが、日に日に増えていく自分の持ち物を眺めていると、さすがにまずいなと思うわけです。持たなくてもいいものを持ちすぎている。そして、モノが自分を縛り付けることになります。

わたしたちはいったいどれだけのモノを持っているのでしょう。そして、どれだけのモノを消費しているのでしょう。

時々わたしのことをミニマリストのような人間だと思っている人もいるようですが、わたしはどちらかというと欲深い人間です。気を抜くとあっという間にモノが溢れてしまいます。そうならないようにコントロールしているだけで、本質的にはお買い物が好きなタイプです。

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必要があって消費する分には構いません。衣類はある程度の清潔感を保つためには複数必要です。いまの時代、スマホなどのガジェット類も必須です。わたしの仕事柄、MacBookのようなコンピュータも必要です。でも、本当に必要なのかと考え出すと思考がぐるぐる回り始めます。

わたしはLCCばかり使いますので、旅の荷物は基本的に7キロまでと決めています。それは夜行バスに乗るときでも変わりません。それは7キロ分の荷物だけでとりあえず生きていくことができるということを示しています。それ以上は毎日を便利に過ごすための贅肉のようなもの。

ランナーという生き方をしている人間にとって、その贅肉は不快です。ただ不快であっても体についてしまうもの。こういうところが、マラソンにおける自分の弱さなんだろうなとは思います。本当に強いランナーは不要なものをあっさりと削ぎ落としていく潔さがあります。

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何かを得るために何かを手放すことに躊躇しない強さ。ランナーとしてのわたし、人間としてのわたしに足りないものがあるとするなら、まさにそれだと思います。

ただ、南横ウルトラマラソンと彩湖リレーマラソンを経て、ほんの少しだけわたしの中に闘争心というものが芽生えてきたのを感じています。風が吹いたら消えてしまうような小さな炎ですが、確かに胸の奥のほうで燃えているのを感じます。

それもあって、自分の身の回りにあるムダなモノたちが気になり始めたのかもしれません。近いところにいる化け物のような人たちが見る景色を感じてみたい。そのために自分の体の贅肉も、日々の生活の中にある贅肉も削ぎ落としたいという気持ちが湧いているのかもしれません。

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昨日までは一切のランニングを自分に禁じていましたので、まだモノを手放したい衝動は小さなものですが、今日から走り始めると、一気にモノを手放していくかもしれません。もっとシンプルに、もっとムダのない自分。

もっともマラソンのようなスポーツはどうしようもない、持って生まれたものの差というものがあります。わたしがどれだけ足掻いたって、同じ景色が見えないことは理解しています。でも、やってできないことと、やらずにできないことは、結果は同じでも得るものが違います。

見果てぬ夢を見て何が悪い

映画「エルネスト」を見終えた時から、この言葉がずっとわたしの心を支配しています。もしかしたら2つのレースで湧き上がってきた闘争心の種はこの時に撒かれていたのかもしれません。

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見果てぬ夢を見たいなら、見果てぬ夢を叶えたいなら、当たり前に生きない覚悟が必要です。もっと全力に、もっとクタクタになるまで毎日を生き切ること。

そのためには、やはり身の回りにはモノが多すぎます。まっすぐに駆け抜けたいのに、避けなくてはいけないものが多すぎます。

どこかで1日かけて、持ち物を見直そうかと思います。それで足が速くなるわけではありませんが、それは次のステージに上がるための儀式のようなもの。もっと強いランナーになるために。すごいランナーと同じ景色を見るという見果てぬ夢を叶えるために、心と体の贅肉をきっちり落とすことにします。


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著者:たっく
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