実は一昨日から軽い頭痛でした。理由は不明ですが、昨日の朝になっても良くならず。お昼を食べた後に公園で昼寝していました。それでも良くならないので、西単のカフェで物書きのお仕事。
2時間くらい作業をしていたのですが、いくつかの文章を書き終えた後に頭痛はどこかへ消え去っていました。ワーカーホリックというのでしょうか。いずれにしてもわたしの場合は書くことが大事だなと。
わたしはこうやって文章にすることでアウトプットするタイプです。口に出して伝えるのはあまり得意ではなく、どうしても文章に頼ってしまうところがあります(一部の人に総ツッコミされそうですが)。
それは個性ですし、わたしらしさです。そこに良いも悪いもないのですが、書くこと以外にアウトプットの方法があるといいなと思うわけです。
例えばマラソンもアウトプットのひとつです。練習としてのランニングはどちらかといえばインプットですが、レースは自分を表現する場なのでアウトプットです。
写真を撮るのもある種のアウトプットですね。普段何気なくインプットしている美しいものを、自分なりの形で写真に収めています。
アウトプットすることは大切なことですが、アウトプットはインプットがなければ成立しません。
そう考えたときに、物書きとしてのインプットはどこで行っているのだろうと、自分のことながらちょっと気になってしまいました。
テレビもほとんど見ませんし、雑誌も読みません。ニュースはネットのものを少しくらい。動画も中国ドラマかユーチューブで気になったものを少し見るくらい。
インプットらしいインプットはしていません。かといってこれまで生きてきた42年間のインプットだけで、文章を書いているとも思えません。人間の記憶なんて正しく使えるものなんてほとんどありませんから(たぶん)。
きっと、街を歩いているだけでも何らかのインプットがあるのかもしれません。それに加えてSNSなどからの情報など。ひとつの小さなインプットを脳内で拡大させてアウトプットしているのでしょう。
もしそれで文章を書くのに十分なインプットをしているのであれば、今の時代は間違いなく情報過多です。
わたしは物書きという仕事をしていますので、情報を消費するよりも供給する量のほうが多いつもりですが、ほとんどの人は情報を消費する側にいます(言うまでもありませんが、良い悪いという話ではなく)。
それだけの情報を消費して頭がパンクしないなと感心するのですが、きっとそういう人は会話をすることで情報を脳内に留めないようにしているのでしょう。わたしは文章にするから(普段は)寡黙なわけです。
人間の心と体は実にうまく出来ています。
おそらくわたしはこれからも情報を文章にしてアウトプットをし続けなくては、自分を保つことができないのでしょう。これはもう業のようなものです。文章を書くのは好きだからいいのですが。
本当は北京にいる間はのんびりでもいいかなと思っていました。公園を散歩したり、ベンチで本を読んだり。気持ちをリフレッシュした状態で万里の長城マラソンの当日を迎えようかなと。
でもやっぱりわたしにはそれは難しかったようです。一緒に誰かがいれば別ですが、1人でいると何かをしていないと落ち着かないという……
もっとも、仕事を入れていないこの時期だからこそやっておきたい作業もあったので、空いた時間を上手に利用して、北京在中もコツコツとアウトプットも継続しようと思います。
もちろん北京でしっかりインプットもしておきます。知っているつもりで全然知らなかったのだと、滞在24時間でいろいろと衝撃を受けましたので。
著者:藤井 孝一
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