他の大会を批判してばかりで、万里の長城マラソンはもっとひどいじゃないかという指摘のメッセージをいただきました。言われていることはごもっともです。
もっとも、そんな批判ばかりはしてないつもりですが、そう思う人もいるということなのでしょう。
ただ、わたしの書いたことに対して、わざわざ時間をかけてメッセージを送るというのは、内容はともかくとして文章が人を動かすというのは本当にあるんだなと変なところで感心してしまいました。
わたしが書いた文章によって、怒ったり喜んだりする人がいるわけです。
個人的には自分に影響力なんてものはないと思っています。このブログでも、自分で考えて行動することが大事といい続けています。そこにはもちろん、わたしの考えに影響なんて受けないで欲しいという思いも込めています。
もっとも、わたしが「自分で考えて」と言って、「そうか自分で考えよう」となるのはすでに自分で考えれてないので、ロジック的にはおかしなことになってしまいますが。
それはともかく、わたしは誰かの人生に影響したいとも思いませんし、誰かに影響されたくもありません(もちろんそれが成立しないことは理解していますが)。
本を読むのがとても好きなのですが、ライターという働き方をするようになってからは、好きな作家さんが書く小説ばかり読むというのを止めました。わたしは影響を受けやすいタイプですので、読んだものの影響をすぐ受けるからです。
そうなると、自分の言葉で文章を書いているのか、借りてきた誰かの文章で書いているのかが分からなくなるためです。
特にエッセイはほとんど読まなくなりました。読むとブログの書き方がほぼそのエッセイ寄りになってしまいます。好きな作家さんほど影響を受けやすいので、できるだけ読まないことを心がけています。
わたしの影響を受けてもらいたくないと言っているのは、わたしが発する言葉はわたしだけのもので、そこで思考停止するのではなく、そこから自分の言葉としてきちんと消化してもらいたいからです。
このブログなどで読んだことは考えるきっかけに過ぎず、そういう考え方もあるくらいのものでしかありません。だってわたしの頭の中という狭い世界の思考でしかないのですから。
でも、やっぱり多少なりとも影響力はあるのでしょう。芸能人やユーチューバーのような立場の人からすれば、吹けば飛ぶような存在でしかありませんが、それでも1日1000〜2000PVあるブログですから小さくはありません。
そこに書かれている言葉が、まったく何の影響も与えないなんてことはないのでしょう。
だから発言には責任を持てとアドバイスしてくれる人もいますが、八方美人で書かれた文章なんて誰も読みたいとは思いません。ある程度の熱量のない文章は落書きと変わりません。
多くの人が忘れているようですが、この国では表現の自由が認められています。
だからといって何でも書いていいわけではありませんが、SNSが広まったことで表現の自由に大きく制限がかけられているような気がします。
どんな人でも発言には気をつけないといけなくなり、あらゆる方面に気を使って文章を書かないと、常にクレームをうけることになるわけです。
そうなると、ほとんどの人は表現することをやめるわけです。Facebookにみんなが書き込みをしなくなった理由のひとつがそこにあります。自分で表現したことに「それはおかしいんじゃないか」と書き込む人がいます。
そこから議論が発展するならいいのですが、ほとんどのケースで自分の正義を一方的に押し付けるだけです。そういう書き込みをした人が「自分が間違っていた」と言葉を取り下げるのをわたしは見たことがありません。
わたしは曲がりなりにも表現者であると考えているので、何を言われようがあまり気にしませんが、普通の人がこれをやられるとひとたまりもありません。同意が欲しくて書き込みをしているのに、否定されるわけですから。
結局、みんなあれこれ気にしすぎなんじゃないかと、わたしは思います。
批判される側も批判する側も。自分に自信がないから自分に同調してくれないものに不満を感じるわけです。自分が正しいと思った道を進んでいるのであれば、誰に何を言われても揺らぐことはないはずです。
他人の意見を参考にするのはいいことだと思いますが、他人の意見を受け流すことも重要です。わたしたちは誰か知らない人の人生を歩んでいるのではなく、自分の人生を歩んでいるのですから。
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