わたしは痛みに弱いタイプの人間です。裸足で走ってるのに?と思われるかもしれませんが、裸足とシューズでフルマラソンのタイムが1時間近く違うわけですから、どれだけ痛みに臆病なのか分かるかと思います。
裸足ランナーでもサブ3を狙うような人たちは、「裸足のほうが速い」と言います。そういう人たちは、痛みに強いもしくは痛みを感じない人なんだろうなとは思います。
痛みには弱いのですが、忍耐力はそこそこあるつもりでいます。忍耐力があるなら痛みにも耐えられるような気がしますが、いつも言っているように痛みは感情ですので、精神論でなんとかなるものではありません。
忍耐力は完全に精神論ですね。耐えるだけですから。
年末年始に東海道を走ったあと、いや実はそれよりも少し前から右足の人差し指の痛みが気になっていました。そして東海道を走った後に強く痛みだしたので、骨に問題があるのか?とも不安になりました。
ただ、昨日から激痛に変わって気づきました。「しもやけ」だってことに。
そういえば1年前も同じようなことで悩まされていたのに、典型的な喉元すぎればってやつです。いそいでユースキンを買ってきて指に塗りました。
すぐには痛みがなくなるわけではありません。むしろ痛みはさらに大きくなっています。ただ、痛みというのは嫌うようなものではないかなと思い始めています。
痛みに弱いということは変わりませんが、痛みは43年間ずっと寄り添ってくれた友だちのような存在です。体に変化があるとき、いつも痛みを伴いました。
ハルカススカイラン以降のカラダづくりにおいても、何度も痛みが発生しました。上半身を鍛えるのに最近は18Lの灯油ケースに水をいれて抱えて立つというトレーニングをしています。
最初は背中の筋肉がひどいことになりました。起きていても寝ていても痛みがあります。人生の終わりなんじゃないかとも思いましたが、いつの間にか軽い筋肉痛になる程度にまで体が変化しました。
国宝松江城マラソンのあとや、台北マラソンのあとに足の甲に激痛が走り、次のレースを走れる気がしないという状態になりましたが、それ以降のレースでは同じ痛みが発生することはありません。
むしろ、体は明らかにいい方向に変化しました。その結果が東西対抗東海道ウルトラマラソン初日の箱根越えでした。
痛みに弱いわたしにとって、痛い時期というのは本当につらいわけですが、痛みは変化の過程で必ず伴います。肉体的な変化であっても精神的な変化であっても。
成長するための別れというものも、43年も生きていれば何度か経験しています。
あれは本当に痛いもので、今でもしっかりと傷跡として残っています。でも、痛みはいずれ小さくなります。人間は本当によく出来ています。痛みは感情だから慣れることができます。
痛みを感じなくなったときに、わたしは過去の自分から一歩前に踏み出しています。だから痛みは成長の証でもあるわけです。そう考えたら、いま体のあちこちが悲鳴を上げているのも、悪くないかなと思えるようになりました。
走れないのは本当にストレスなんですが、今の自分にはこの痛みが必要なんだと言い聞かせています。きっと痛みが消えたとき、わたしはさらに違う景色が見えるようになっているはずです。
しもやけの痛みは成長には役立ちませんが。
著者:ドリーン・バーチュー,ロバート・リーブス
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