絶対に自分のミスは認めないという人がいます。
いま請けている仕事の担当者がそうなのですが、指摘をしてもミスを認めないで言い訳を重ねて、結局よくわからないものをこちらで書かなくてはいけなくなるのですが、残念だなと思うわけです。
それでも納品となるので、世の中のネット記事がいかに信ぴょう性が低いのかを、身を持って感じている毎日。
そのこと自体は別にいいのですが、「ごめんなさい」を言えない人は苦手だということを思い出してしまいました。そういえば、過去にお付き合いした女性のほとんどは「ごめんなさい」を言わない(言えない?)人でした。
きっと、そういう人をわたしが引き寄せているのでしょう。
もうこの年齢になると恋愛に積極的になることはないのでしょうが、もし付き合うとしたらという前提で話をするなら、「お酒を飲める人」で「食いしん坊」であることが理想だと言ってきましたが、「ごめんなさいを言えること」も大事だなと。
美味しくお酒を飲めて、美味しいものを食べたい欲が強ければ、まぁだいたいうまくいきます。美味しいものを食べたり飲んだりしていれば、めんどくさいこととか嫌なことなんて大体どうでもよくなります。
でも、ごめんなさいを言えないと感情がぶつかり合います。相手が言わないのだからこちらが引くしかありませんが、わたしもそんなに人間ができているわけではありませんので、なんでもまぁいいかとは思えません。
今回の仕事の場合、わたしがうまく導けば、訳のわからない成果物にはならなかったのでしょうが、なんでよその会社の人に気を使わなきゃいかんのだと思ってしまうわけです。
あとは、嘘をつくというのも嫌いですが、嘘をつかずに生きられる人はいないでしょう。どんな嘘でもバレなければいいとは思います。バレたらそこで関係は終わりますが。
それは自分に対してだけでなく、他の人に対して嘘をついたのを目撃しても同じです。「あぁこの人はわたしに対しても嘘をついているんだろうな」と思ってしまうわけです。
それくらい人付き合いのなかで当然あることなのは分かっていますが、気持ちが冷めてしまうから仕方ありません。だから、人付き合いの少ない個人事業主をしているわけです。
そう思うと、苦手だと思う人は結構多いかもしれません。自分の意見を押し付けてくる人、空気を読めない人、高圧的な人……あれ?もうこれは社会に出ていけないじゃないだろうか。
いったい、どんな人なら一緒にいても居心地がいいのでしょう。そもそも、そんなに条件をつけられるほど自分がよくできた人間でもないのに、なんて偉そうなんでしょう。
まぁそれも含めてわたしという人間です。
マイナスの部分があるからプラスの部分があるわけです。わたしにプラスの部分があるのかどうかはわかりませんが、マイナスの部分はいくらでも思いつくので、きっとプラスもある…あるんだろうな…あったらいいな。
嘘をつく人にもごめんなさいを言えない人にも、それによってプラスになる部分があります。だから、直してもらいたいというのは違います。その人たちはきっとそのままでいいのでしょう。
ただ、すべての人と仲良くする必要はないということ。
磁石のSとNは引っ付きますが、SとSは反発します。ジグソーパズルは決められた部分にしかハマりません。相性が良くないのは仕方がないと思って潔く距離を取る。それでいいかなと思えるようになってきました。
八方美人で43年もやってきたので、すぐに変わるのは難しいかと思いますが、まずは四方くらいにしておこうかな。見えない部分にまでいい顔する必要はありません。
最終的には、目の前にいるたった1人にだけいい顔できればと。いや、たった1人にだけ、素の顔を見せることができればいいのかな。
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