アマゾンのジャングルで、ザトウクジラが打ち上げられたというニュースを目にしました。もし、自分で死に方を選べるなら、こうでありたいものです。
「なぜそんなところで?」誰もが疑問に感じるような場所で、ひっそりと人生の幕を閉じる。
もちろん、ものすごく多くの人に迷惑をかけることになると思いますので、現実としてそうありたいというのではなく、生き様としてそうありたいと願っているだけです。
クジラは海にいるもの。小さな子どもだって知っていることです。でも、アマゾンのジャングルにいたわけです。そのクジラが何かを望んでそこにいたかどうかは分かりません。他のクジラと違うことをしたいなんて考えてはなかったでしょう。
でも、事実としてそこにいたわけです。
群れや家族を離れて、自分1人の力で力強く生きようとする。進む先が間違っていても、それは結果論でしかありません。この先の道が見えなくて、不安になって立ち止まるのではなく前に進む。
わたしは仲間と過ごす時間も好きですが、基本的には1人の時間を大切にするタイプです。大勢で力を合わせて勝利を勝ち取るのではなく、1人1人がベストを尽くせば結果は自ずとついてくると考えます。
そういう性格でよくサッカーなどの団体スポーツをやってきたなと思うのですが、それは今だから思えることです。
まずは何よりも自分のことをしっかりする。自分のやりたいことをやり抜く。そういうベースを持って仲間や大切な人と向き合うというのが、わたしのスタンス。
それが良いのか悪いのかは分かりません。ただ、それが自分には適しているようには感じています。
なぜかわたしには「寂しい」という感情がありません。生まれつきなのか、それとも成長の過程でそうなったのかは分かりませんが、誰かと一緒にいないと耐えられないということはありません。
1人で旅をしてて寂しいと感じることもなく、ランニングの練習も1人でするほうが好きです。旅をするときの食事だけは、誰か一緒だと美味しくなるので、他の人が一緒だといいなと思いますが、自宅の食事は1人で黙々としています。
生きるというのはそういうものだと思っているので。
ただ、他の人がそうかというと、そうではないようです。SNSには寂しいという言葉が溢れていますし、誰かと一緒にいたいという感情が渦巻いています。そういう人はきっと人に好かれるタイプなんだろうなと思います。
これまでの人生で常に誰かが側にいてくれたから、1人でいることに耐えられない。ある意味とても恵まれた人なのかもしれません。
わたしが1人を好むのは、これまでそういう時間のほうが長かったから。高校時代も大学時代も、誰かと遊んだりした記憶があまりありません。部活でも単独行動をすることがほとんどでした。
そういえば、わたしは仲間と一緒に行動するときも、みんなに歩調を合わせずに1人で先に歩いていく癖があります(よくないなとは思ってるのですが)。
周りに愛されない生き方をしてきた弊害でしょうか。「あいつは放っておいても大丈夫」そういう対象だったと思います。わたし自身もそれを望んでいましたし。
これからの人生でそれが大きく変わることはないのでしょう。
ただ、1人で生きているわけでもないのも事実です。だったら、周りの人たちに驚きや笑顔を与えられたらいいなとは考えています。他の人がしないことに挑戦し、成功しても失敗しても、その姿を見て笑ってもらえる。
1人だからできることがあります。未来のことは分かりませんが、少なくとも今の自分は1人が基本です。だったら、アマゾンのジャングルに打ち上げられたザトウクジラのように、意外性のある道を選びたいところです。
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