彩湖リレーマラソンを終えて5日間練習しない日を設定しましたが、この期間で分かったのは、わたしは走っていないといろいろとうまく回せないタイプだということです。
やることなすこと上手くいきませんし、練習していないのに身体が必要以上に眠りを欲します。なぜか部屋もどんどん荒れていきますし、いいことなんてひとつもありませんでした。
追い込むような練習をする日も、疲労抜きのジョグをする日も、わたしには何らかの良い作用が働いているのでしょう。知らないうちに、わたしは走らずにはいられない人間になっていたようです。
そこまでランニングにハマっていることを考えると、ランニングの情報発信というのは、まさに天職なのかもしれません。機械設計も天職だと思っていましたので、むしろ向いてない仕事のほうが少ないのかもしれませんが。
高校時代、担任の先生に「好きなことは仕事にしないほうがいい」とアドバイスされましたが、あの頃の自分にメッセージを送ることができるなら「好きなことを仕事にできなかった大人の言うことなんて聞くな」ということでしょうか。
好きこそものの上手なれと言いますが、そもそもわたしは好きでないことが続きません。
わたしの継続力を褒めてくれる人がいますが、わたしは継続力がそれほど高いわけではありません。長く続かなかったことがどれだけあるでしょう。どれだけのWEBサイトを閉鎖させてきたでしょう。
あれこれ手を出して、残っているものだけが続いているというだけのことです。
いま続いているものだって、どこで終わってしまうか分かりません。反対にこれから始まって、長い付き合いになるものもあるのでしょう。
行雲流水。
わたしの好きな禅語のひとつです。何かに執着することなく、雲や水のように流れに乗っていく。
変化することは怖いことですし、現状が続けばいいなと思っている人のほうがきっと多いはず。でも、世の中には変わらないことなんて何ひとつありません。人と人との関係だって移りゆくものです。
だったら、いつも雲のように常に変化し続けたいですし、水のように周りに合わせて流れ続けたい。
形を変えても、自分が雲や水であることには変わりありません。重松貴志は何をしていても、どこにいても重松貴志でしかなく、それ以上でもそれ以下でもありません。
だからこそ、好きなことや楽しいと思うことをどんどん追求していくことを大切にしています。面白くないことや、ストレスになることをガマンして継続したところで、身につくのは忍耐強さくらいのものです。
人付き合いをする上で、耐えるというのはとても大切なことだとは思います。でも、耐え続けることの先に明るい未来があるとは思えません。そして何よりも、わたしは未来のために生きているわけではなく、今だけを生きています。
そういえば、先日のLancer of the Year2019で「10年後どうなってると思いますか?」と聞かれました。その場では「今と変わらないんじゃないですか」なんて答えましたが、本心は「そんなこと知るか」でした。
3年半前、会社を辞めたときに今の未来は見えていませんでした。
未来なんてどうやったって見えないんです。会社員時代にはビジョンを持てとかいろいろと言われましたが、そんなものを持っても成功なんてしません。少なくともわたしにおいては。
世の中にはビジョンを持って、それに従って成功者になる人もいるのでしょう。そういう人を否定するつもりはありませんが、雲はつぎにどんな形になっているかなんて考えません。
流されるように変化し続けるだけでいいというのが、わたしのやり方。
流れには逆らわないこと。自分で流れを作り出そうとしないこと。でも自分は雲であり続けること。継続できることは自然と続きますし、続かないものは自然と消えていく。
そんなゆるい感じでいいんじゃないかな。最近はそんなことを考えています。
コメント