自分に起きることのすべては、自分に責任があると考えています。どんな理不尽なことであっても、誰か他の人の責任にするつもりもないですし、ましてや国が悪いとか微塵も考えたことがありません。
でも、そういう考え方はあまり受け入れられないようで、世の中の多くの人は自分以外に責任を求めます。
道を歩いていて車が突っ込んできても自分が悪いのかと言われると判断が難しいところですが、意図的に突っ込んできたなら相手に恨みを買った自分の責任でしょうし、悪気がないなら運が悪いだけのことです。
少なくとも運転手を責めたところで、時間が戻るわけではありません。
世の中には理不尽なことはいくらでもあります。この地球上に自分以外の人間が何十億人もいるのですから、自分の納得出来ないことばかりなのは当たり前のことです。
自分以外の誰かの責任にするのは簡単です。怒りをぶつけるのも簡単です。でもそれは思考停止と変わりません。そこから何も進展しないわけですから。
小さな頃から、母親に何度も「自分で考えなさい」「他の人は関係ない」と言われて育ったのも影響しているのでしょう。多感な時代に村上龍さんの小説を読み漁っていたのも関係しているかもしれません。
原因はともかく、自分の道は自分で切り開くものだというのが、わたしの基本的なスタンスです。他人は当てにしてないで、自分がやるべきことを考えて行動する。
わたしが今のラン仲間と一緒にいる時間が比較的長いのは、それぞれが自分がやるべきことを考えて行動するからなんじゃないかなと、先日箱根に泊まりに行ったときに感じました。
仲間を持ち上げても意味ないのですが、4人で食事を作って食べることにしましたが、買い物から帰ってすぐにそれぞれが、自分の役割を考えて動き出しました。
誰かが指示をして動くのではなく、全員が空気を読んで動き出すわけです。こういうことは頻繁にあります。ときどき負荷が偏ることもありますが、それでも人に任せっぱなしにしない空気があるので、わたしは居心地がいいわけです。
わたしは常に先回りで動くタイプなので、どうしてもリーダーの役割をさせられることが多く、その役割を演じきれているうちはいいのですが、ストレスが溜まって爆発するというのを何度も繰り返してきました。
わたしは集団の中で動くのが得意ではありません。個がベストを尽くせば全体は最高の結果を出せると考えるタイプで、1+1はどうやっても2にしかならないと思っています。
だからそれぞれがどこまで1まで近づけるかを重視します。でも、集団の中でうまくリーダーシップを取ったり、マネージメントできる人は、組み合わせによって1+1を3にも4にもしようとします。
それはさすがだなとは思いますが、わたしにはその考え方は向いていません。
個がベストを尽くすことが大事だと思って何十年も生きてきましたし、これまでもそれは変わらないことです。組み合わせで結果を出すという場合には、どうしても相手に依存する部分が出てきます。
わたしはそれが耐えられません。
依存した相手が倒れたときに、自分のせいではないとは思えないので。わたしは絶対に「自分が負荷をかけすぎた」と自責の念に駆られます。他の人に迷惑をかけたくないという思いが強すぎて、誰かに依存することができません。
自分自身に起きることはすべて自分に責任がある。そう考えるようになったのは、自然なことなのかもしれません。
世の中が悪いと思うのは自由です。国が悪い。親が悪い。会社が悪い。それも自由です。だったら、そこで自分がどうするかが大事なのであって、文句だけ言ってそこから動こうとしない。
いま自分がいる場所には自分の意志で立っているという意識を持つべきです。嫌な思いをしているのにそこに留まっているのは自分の責任です。100歩譲って相手が悪くても、相手が変わることは100%ありません。
自分が受け入れるか逃げるかのどちらかです。受け入れるのも逃げるのも嫌で、相手が正すべきだというのは傲慢な考え方です。少なくともわたしの中では。
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