わたしが部活で学んだこと

幼稚園の頃から水泳を始め、紆余曲折があり今はランニングをしていますが、まさか自分がフルマラソンを走ることになるなんて考えたこともありませんでした。

ただ走るのはなぜか得意でした。中学の体育の授業で学校の周りを時間内に何周走れるのかというテストのようなものがあり、そのテストでは1週ごとに時間が長くなり、最終的には授業時間をすべて使って何周走れるかを計測します。

最後の週は10周走り切ると「すごいやつ」と認定されます(中学生っぽい)。Google Mapで先程計測したら、1周が約700mありましたので、7kmを走るということになります。時間はどれくらいだったかは覚えていません。

ただはっきり覚えているのは、3年生のときに10周を誰よりも速く走りきったということです。

いま思えば体重がかなり軽かったんだと思います。スポーツが好きなのに運動音痴といういたたまれない状態にあったわたしが、長距離で速く走れる理由があるとしたらそれしか考えられません。

そして、そこで勘違いしたわけです。「こんなにも走れるなら、高校は陸上部がいい」と。ただ、その夢は高校に入ってすぐの体力測定で、1500mを走ったときに、同級生に圧倒的な差を付けられたことで、あっけなく砕かれました。

それでもクラスでは2番目だったわけなので、それほど遅いというわけではなく、その同級生が陸上部期待の新人という立ち位置だっただけのことです。青春マンガならそこから切磋琢磨してとなりますが、現実は……

サッカー部のほうがモテるという従兄弟のアドバイスに従って、わたしはサッカーを始めてしまうわけです。

あのとき陸上部に入っていたら、どうなっていたのでしょう。遅いなりに箱根を目指したりしていたのかもしれません。サッカーも下手なりに向上心だけはあり、サッカーで食べていこうと決意していたくらいですから。

高校時代からサッカーをやるなら関東と思っていましたから、きっと陸上部に入っていても「走るなら箱根を目指す」となっていたかもしれません。もっともわたしの学力で箱根を目指す陸上部のある大学には入れませんでしたが。

あと、サッカー部に入ってもモテなかったのは言うまでもありません。サッカー部でサッカーが上手い人がモテるだけで、いつまでたっても補欠どころかベンチ入りさえできないわたしに振り向いてくれる女子などいるはずもなく。

自虐ネタはそれくらいにしておきます。人生でモテなかったのは、決して高校時代だけではないわけですから。

昔から「みんなと同じ」というのが苦手な子でした。親に「他人は他人」と言われて育ち、「自分で考えなさい」と繰り返し叱られた影響かもしれません。当時は「大阪から東京に行くのは非国民」と言われていた時代です。

ダウンタウンや森脇健児さんが東京進出をして、関西から東京というルートを開拓してくれていなかったら、わたしのような一般人でも、なかなか関東の大学に行くなんてことは思えなかったでしょう。

さらに、わたしの親は転勤が多かったのもあり、大阪に根を下ろしていたわけではありません。大阪は高校を卒業するまでに9年暮らしていましたが、幼なじみなどはいません。

どうしても大阪に留まる理由などわたしにはなく、そして「みんなが関西の大学に行くなら、自分はみんなの選ばない道を歩みたい」と考えるわけです。高校選手権を観に行ったときに、東京への憧れを抱いたのも大きいかもしれません。

サッカーをするために関東に出てきて、そして気がつけばマラソンを走っている。そんな未来が待っているなんて、大阪を発つときには1ミリも考えていませんでした。

わたしにあったのはサッカー選手になるという夢だけ。

人生は思い通りにいかないことばかりだけど、思い通りにいかないからこそ面白いんだと40歳を超えてようやく気づき始めました。上手くいかないことばかりだから謙虚にもなれますし、努力をしようと思える。

コツコツ積み重ねることがどれだけ大事なのか知っているのは、才能がないからこそ。何でも器用にこなしてしまうと、人生をなめてしまっていたかもしれません。今でもそこそこなめているところがありますが。

そういう意味で、やっぱり部活をすることって大事だったなと思います。文化系の部活などはよく分かりませんが、少なくともスポーツにおいては、優劣がはっきりとします。自分の才能のなさが残酷なほど浮かび上がってきます。

でも、大事なのはそこからです。劣っているから諦めるのではなく、その与えられた環境の中でどう努力を積み重ねるか。部活の中でコーチや自分よりも上手い人にどうやって認められていくのか。もがき苦しむからこそ、次に繋がります。

サッカーの世界で花が咲くことはありませんでしたが、市民ランナーとしてかつて積み重ねたことが活きています。物書きという仕事にも影響を与えています。雇われない生き方というのも、あの部活時代があったからこその判断でしょう。

人生に意味のない瞬間なんて1秒もありません。

ランニングに意味のない1歩なんてないんです。その1歩が必ず次の1歩につながります。それがタイムという結果として出てこなくても、思わぬところで活きてくるわけです。1歩を諦めなければ、自分の未来が少しだけよくなる。

どんな瞬間も無駄にしてはいけないとわたしは部活から学びました。いつもそんなことばかり考えていると、頭が沸騰しそうになるので、ちょっと自棄になりそうなときに思い出すようにしています。

その成果が出ているかどうかは分かりませんが、少なくともサッカー選手ではない未来も悪くない思えています。


そろそろ、部活のこれからを話しませんか 未来のための部活講義
著者:中澤 篤史
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