1993年夏。高校最後の夏休みに入る前日、サッカー部の紅白戦で肋骨を骨折したわたしは、その夏の終りまでボールを蹴ることができませんでした。進学校ということもあり、同級生の半数は進学のために春で部活をやめている中、わたしは高校選手権が終わるまで残る決断をした後です。
もっとも高校選手権まで残っていて、ケガをしていなくてもベンチ入りすることも難しかったかとは思います。シンプルに下手だったので。
ただ、わたしの照準は高校選手権にあったのではなく、大学に進学後にありました。下手なのにサッカーで食べていけるつもりで、そのためには関西に残っていてはダメで、関東の大学で名を挙げるしかないという野望を抱いていました。
ですので、骨折したことに対して悲観的になることはなく、走れるようになってからはひたすらランニングを続けていました。夏合宿もずっとランニング。走るのは当時から好きでした。ただ、今のように速く走るという意識はありません。
走れないことにはサッカーにならない。だから走っていましたが、結果的にはこのときの走りが今に繋がっているような気がします。多少は気が紛れたというのもあるのでしょう。
ただ、高校選手権は思った以上に早い段階でチームが敗れ、秋には引退することになりました。もちろん涙なんてありません。そこが自分にとってのスタートラインだと思っていましたし、それほど強い思い入れがあるわけでもなく。
むしろ、どこか清々とした感じもありました。高校時代からそういうところがあったのでしょう。群れることが嫌いで孤独を愛する。
今は集団でいることにも慣れましたが、やはり孤独が好きだという点は変わりません。孤独でいれば他の人に迷惑をかけることもありませんし、すべての責任は自分にあるわけですから気が楽です。
昔から孤独が好きだったわけではありません。中学時代はこう見えてグループの中心にいるようなタイプでした。それが高校に入って、同じノリを引っ張ったのが失敗だったのでしょう。
周りから完全に浮いてしまった感じがありました。
ドラマや小説なら、そこで運命的な出会いがあるのかもしれませんが、わたしを救ってくれるヒーローがいたわけではなく、わたしは自分で自分を守るために、孤独を愛するようになっていったのだと思っています。
半分以上は美化されているかとは思いますが、箕面高校時代に大切な思い出はほとんどありません。もちろん親しかった人もいますし、卒業後も繋がりのあった人もいますが、運命の悪戯か結果的には今は年賀状だけの縁が1名。
大学に入ってからも、孤独はいつも側にいました。今度はうまく周りと距離を取りながら溶け込むことができましたが、一方でサッカー部の先輩には相当嫌われてしいました(最終的には後輩にも嫌われましたが)。
人付き合いが苦手なんでしょうね。
嫌われることに関しては何とも思いません。世界中のみんなが仲良くするなんて無理な話ですし、わたし自身が好かれたいと思って行動することがありませんし、若い頃は言葉のチョイスも上手くなかった。
最近をちょっと先の未来のことを時々考えます。そういうときは、やっぱり自分1人でいる未来を思い浮かべます。東北に小さな家を買ってのんびりと暮らす。たまに東京に出てこれるといいなとか思ったり。
そこに誰かが一緒にいるなんて想像はしたことがなく、それに対して違和感もありませんでした。もちろん、実際にそうなっているかどうかは分かりません。思わぬ運命がこの後に待っているかもしれません。
でも、きっと孤独と離れることはないんだと思います。孤独はとても居心地がいい。ただ、そういう自分をあまり全面に出してこなかったような気がします。そろそろ出してもいいんじゃないかと思ったり。
孤独というと寂しい感じがしますし、人によっては恐怖感を抱くかもしれません。でも、わたしは誰かといるときには、その人の期待を裏切ってしまうのではないかということに恐怖感を抱きます。
期待に応えたいという思いが強すぎて、自分を抑えてしまい、突き抜けることができない自分がいます。
突き抜けることができれば、また違った自分に出会えるのかもしれませんが、人間はそう簡単には変われません。この数ヶ月で嫌というほどそのことを思い知らされました。そして気づいたのが、自分の弱さを受け入れ愛するということ。
それについてはまた別途お話しますが、自分の弱さを消すことはできない。だからそれを上手く付き合っていくことが大事だと、43歳にして気づきました。きっとみんなはずっと前に気づいているのでしょうが、わたしは何をするのにも時間がかかります。
強がらなくてもいい。あの時代に戻って自分にアドバイスできるなら、わたしはきっとそう伝えるでしょう。もっともそんなアドバイスを受け入れるとも思えないくらい尖っていましたが。
そういう過去もあっても今のわたしです。尖っていた時代も必要な時間。そしてこれから孤独を愛するのも必要な時間。何十年後かに振り返ることがあれば、きっとそう思えるはずです。
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