僕はそれを愛国とは呼ばない

お隣の国とのゴタゴタが収束する雰囲気もなく、これが現代式の戦争というやつなのかも知れないと思い始めました。この後どのような展開になるかは分かりませんが、あまりいい未来は見えそうにありません。

その韓国では、日本製品をボイコットすることで愛国心を示すということが行われています。物を売ってくれないことに対する行動が「買わない」ということなので、思考がよく分からない部分もありますが、彼らにとって本当に大事なのは「愛国心」なのでしょう。

今の日本人に同じような愛国心があるかというと、きっとそういうものは持ち合わせてないんだと思います。

じゃあ国を思う気持ちがないかというとそうではなく、心のどこかでこの国を愛している気持ちを持っているのでしょうし、守りたい人だっているはずです。きっと国を思う気持ちの形が違うだけで。

戦前の日本では、もしかしたら今の韓国のような雰囲気があったのかもしれません。

・胸に愛国 手にハンマー
・銃執れ 鍬執れ ハンマー執れ
・一億が みんな興亜へ散る覚悟
・正しき血から 強い民族
・飲んでて何が非常時だ
・黙って働き 笑って納税
・国が第一 私は第二

これはすべて戦前の日本で掲げられたスローガンです。今の日本からは想像できない部分もありますが、少し上の世代にはこの雰囲気が残っていたのを感じた人も多いかも知れません。

みんなで同じ方向を向いて苦難を乗り越える。いざとなったら、現代の日本人でも同じことができるのかもしれませんが、自由を手に入れ、主張することを覚えたわたしたちには、とても無理な気もします。

軍事政権にでもなって、力で押さえつけられたら話は別ですが。

ただ、こういうのも愛国のひとつの形なんだろうなとは思います。自分が受け入れるかどうかは別として。少なくとも、わたしはそれを愛国とは呼びませんが、非常時にどこまで貫き通せるかは分かりません。

国を愛する気持ちは人それぞれかもしれませんが、わたしにとっての愛国は、沈む夕日を美しいと感じたり、色づいて頭を垂れる稲穂に思いを馳せたりして、この大地を感じることにあります。

この美しさや穏やかさを守り続けたい。次の世代にきちんと届けたい。

それが国を愛することなんじゃないかなと。もちろん、それはわたしの中だけのことで、誰かに共感してもらいたいわけではありませんし、共有できるとも思っていません。

一致団結するタイプの愛国は、どこかで押し付けがましいものになります。100人いれば100人が違う考え方をするわけですが、それでは同じ方向を向けないわけです。同じ方向を向かせたいなら、どこかで強制しなくてはいけません。

それに従わない人を非国民と呼び、精神的に追い込むわけです。わたしはそれを嫌います。

明治維新は国を想う人たちの気持ちがぶつかりあった結果でした。尊皇派も佐幕派もみんな国のことを想い散っていきました。それを良いこととは思いませんが、国が変わるために必要なことではありました。

あの戦争だって、新しい時代を迎えるために必要なものだったのかもしれません。結果的にあの戦争を経て、植民地時代が幕を閉じました。戦争することの無意味さ、命の尊さが語られるようになりました。

だから、きっと今回の日韓関係だって次に進むための糧になるんだとは思います。ただ、このあとどのような状況になろうとも、自分なりの国を愛するという形は大事にしようとは思います。

間違っても周りに扇動されることなく、常に冷静に。

何をするわけでもありませんけどね。毎日きちんと仕事をして、朝と晩に走って、玄米と少しの野菜、少しのお肉の食事をする。変わらない毎日を過ごすだけのことです。その中で四季を感じながら、美味しいお酒をいただく。

お国のために議論するのは賢い人たちにお任せします。


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著者:高橋 源一郎
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