マラソンや勉強と同じように人間力にも天賦の才能がある

2人の女の子にショートケーキとチョコレートケーキが1つずつ。1人がもう1人に「どっちが好き?」と聞いたら、「ショートケーキ」と答えたので「じゃあそっちでいいよ」とショートケーキを譲りました。

ここまではよくある話。ハッとさせられたのは、その後のフォローとして「わたしチョコレート好きだから」と言ったこと。若いのにこんな見事なフォローの仕方ができるってちょっとすごいなと。

「わたしはチョコレートケーキを食べたかったから、ちょうどよかった」

ショートケーキを食べたかったとしても、これが1番美しいとは思います。でもほんのちょっとだけ「譲った空気感」になったのを感じ取って、そのうえで相手に気を使わせないための言葉のチョイスを彼女はしました。

その会話を聞いて、なんか人間的に大きく負けたような気分になりました。そんな言葉のチョイスは普通できません。わたしだったら「全然いいよ」と言うと思いますが、その理由までは付け足せません。

さり気なく、相手が納得できる言い方で、相手に心の負担をかけさせない。

世の中にはそんな、いそうにもない人がいるものです。スポーツに天賦の才能があるように、人間力にも天賦の才能があるのか。それとも育ちによって人間力は変わってくるのか。

わたしは育ちによって変わるものだと思っていますが、その会話を聞いて「これは才能だな」と思ってしまいました。わたしがどれだけ努力しても、同じような返しができるようになるとは思えません。

小さな頃から人懐っこくて明るい子っていますよね。それに対して、すぐに人見知りして距離をおいてしまう子も。わたしは明らかに後者。大人になったので人見知りを隠す技術を使えますが、根暗であることには変わりありません。

もちろん、それが悪いことだとは思いません。世の中はいろいろな人がいてバランスが取れています。自分に足りないものがあるから、誰かに補ってもらおうとしたり、誰かの足りない部分を補おうとしたりするわけです。

ただ、明るくて奔放な人を見ると、心がざわついてしまいます。何でこの人は、こんなにも明るくて素敵なんだろうという思考から、何で自分にはそれができないのだろうという思考へと移行していきます。

自分がネガティブになるだけだし、自分にとってまったくメリットのないことなので、そう思わないように心掛けてはいますが、気がつけば人間力の差に愕然として落ち込むこともあります。

スポーツや勉強で敵わないというのは、受け入れがたいもののそこまで打ちのめされることはありません。でも、人間力というものは、その差を見せつけられると自分が無価値なんじゃないかと思うほど凹むこともあります。

優しい人は「そんなことないよ」と言ってくれることもありますが、自分が1番わかっています。ただ、幸いなことにそこまで凹まされることは、1年に何回もあるものではなく、ちょっとした事故のようなものです。

それは周りの人の人間力が低いというのではなく、周りにいる人に対しては免疫力がありますし、何よりも一緒にいることで自然と人間力を学んでいるので、差はあるものの圧倒されることはほとんどありません。

ときどき「あぁやっぱりすごいな」と思うことはあります。間違っても本人にそういうことを伝えたりはしませんが。そういうところも人間力が足りてない原因のひとつな気がします。

人間力が高いなと感じる人は、嫌味なく人のことを褒めますし、誰かの悪いところをバカにするようなこともありません。わたしなんかは器が小さいから、なかなか人を褒められませんし、すぐに揚げ足を取りたがる。

自分の欠点をあげつらっても意味がないので、これ以上はやめておきますが、やっぱり最低限の人間力は身につけたいものです。それが天賦の才能を必要とするものだとしても、少しくらいは努力でカバーできるはず。

フルマラソンを2時間で走ることはできなくても、3時間なら努力次第で何とかなるのと同じで。ただ、どうすれば人間力が上がるのかまったく分かりません。本当に努力でなんとかなるものなのかさえも。

まずは悩むことから始めるとしましょう。ランニング中に時間はたっぷりあるわけですから。

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