この国が経済大国になった陰で、1年間に何万もの人が自ら命を絶つ国になったことを忘れてはいけない

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会社の慰安会のせい…というのは短絡的すぎるのですが、慰安館に参加したことでちょっと頭がすっきりしない状態になってしまったので、ここに書くことで頭の整理をしたいと思います。もしかしたらわたしの勤める会社の人がこのブログを読んでいる可能性もあるかもしれません。その人たちに嫌な思いをさせる可能性もあるかもしれませんが、できれば「そういう考えもあるな」ぐらいに思ってください。

わたしはいまの会社に入社した時から任されている開発品があります。開発品と言いながらも優先順位がどうしても低くならざるを得ないものです。目の前にあるお客さんの注文したものの図面を書き手配し組み立てる。これが最優先されるため、目先で1円にもならない開発品は後回しにした結果が5年間も経って開発完了しない原因だとわたしは考えています。

慰安会で社内の上の人からその開発品について「時間がないという言い訳は一番最低だ」と言われました。まぁ言いたいことはわかります。そういう気持ちもわかりますし、その人はそうやって出世してきたのでしょう。いまその地位に立つまでは大変な苦労だたっと思います。特にわたしの場合は周りの人と比べて極端に残業時間が短いため、「もっと出来るだろ」となるのもわかります。

でも、そうじゃないと思うんです。わたしも時間がないを言い訳にするのは最低だと思います。でも、社員の残業が前提なのは経営者の甘えじゃないでしょうか。

実は社会人になってからずっと疑問に思っていたことがあります。仕事に対する責任とか、取り組む姿勢とか経営者が社員に求めるものってどこかずれているように感じています。そういうものって本当に必要なんでしょうか。いや、別に仕事を不真面目にやるとか手を抜くとかそういう話ではなく。仕事におけるがんばりの方向性が間違ってるのではないかと思うのです。

会社のために働くことは自分のために働くことでもあるというような風潮。そのためにはサービス残業も当然だし、睡眠時間を削ってでも働く。そのことで自分を高められる。それでいいじゃないかと思う人もいるでしょう。実際に裸一貫から成り上がろうと思うとそれぐらいのことは当然必要です。でもそんなもの経営者の詭弁に過ぎません。都合よく社員を使いたいだけです。

最悪なのはそのことに気づいていない経営者が世の中に多数いるということです。本当に社員にとってよかれと思って、がむしゃらに働くことを要求しているのです。

経営者も社員も仕事に対して多くのものを背負いすぎです。経営者は社員の生活や未来を背負い、社員は会社の利益だとか成長とかを背負っている。そういうもたれ合いのシステムはとっくに限界を迎えています。そうやって日本は成長してきたのかもしれませんが、そうやって日本は崩壊してきたのです。この国が経済大国になった陰で、1年間に何万もの人が自ら命を絶つ国になったことを忘れてはいけません。

わたしは仕事ごときで命を絶つ人のいない社会を望みます。がむしゃらに働く意外の働き方をこれからも模索していきます。

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