1人で24時間裸足で公園を走ったり、レースでもないのに超長距離を走っていると「精神力が強い」という評価をされることがあります。人の評価なので個人的にはどうでもいいことなのですが、正しい評価だとは思わないのでこそばゆい。
実際にわたしの精神力が弱い。頑張れないし我慢できないから、こうして会社組織に入れずにいます。わたしに強い精神力があれば、いまごろ最初に入ったアルプス技研でそこそこの役職に就いているはずです。
最後に勤めた古河C&Bでもエンジニアとして、何不自由ない生活を送れていたはずです。わたしは周りが思っている以上に、堪えることができない人間です。
でもランニングは続いているし、精神力が強くなければ24時間や五街道を1人で走るなんてできないと思うかもしれません。でも、そこに精神力なんて必要ありません。そこにあるのは「やる」という選択肢だけです。
24時間走ると決めたら走るだけ。そこに「我慢」や「気合」なんて言葉が必要ありません。もちろん「痛い」というような感情はあります。でもそういうときに、痛みは痛みでしかありません。
「痛いからやめる」という選択肢がそもそもないわけです。そういう選択肢があるなら、最初からやりません(明らかにケガをしたというのならやめますが)。
自分にとって目標があり、そこに向かってやらなければいけないことを、どれだけ予定通り積み重ねていけるか。ランニングにしても仕事にしても、わたしはそれを大切にしています。
「走りたくないときはどうするの?」「仕事をしたくないときはどうするの?」と聞かれることもありますが、そもそもそういう感情はほとんどありません。
疲労が溜まって走れないときや、頭の回転が悪くて仕事にならないときはあります。そういうときは休みます。でもそれは「やりたくない」わけではありません。必要だから休みを選んでいるだけのことです。
「必要だからする」これはマラソンの日本記録保持者である大迫傑選手も著書「走って、悩んで、見つけたこと。」で書いていたことです。
彼くらいのレベルになるには、必要ないことをしている時間はないのでしょう。オフシーズンはまた少し違うのかもしれませんが、少なくとも目標があってそこに向かっているときに1分1秒も無駄にしない。
そして目標に向かって必要なことを積み重ねているだけなので、「やりたくない」という感情が生まれることはありません。
世の中で「毎日歯を磨いて偉いね」と褒められる人はいません。あたり前のことをしているだけですから。わたしにとってのランニングは(きっと大迫傑選手にとっても)、毎日の歯磨きと同じで特別なことではありません。
歯磨きと違うのは「集中して行う」「常に考える」ということでしょうか。「もっと効率のいい歯の磨き方」なんて追求することはありませんが、ランニングは習慣化しながらも、常に変化できないか考え続けています。
ただ、1ミリだって努力をしているつもりはありません。
もちろん、ポイント練習をするときは苦しくてつらく感じることもあります。でも、自分がやると決めたことだから続けます。描いている未来への唯一の道だと信じているから、苦しみを受け入れてやるべきことを積み重ねる。
繰り返しになりますが、そこに努力とか気合、根性というものはありません。人間は永遠に頑張れるほど、強くは作られていません。だから無理に頑張らなくてもいい。ただ、やるべきことはやる。それだけです。
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