谢谢大哥

そろそろ立ち直らないと叱られそうなので、ブログを再開します。とても大切な人が亡くなりました。知ったのは葬儀が終わってからだったので、きちんとしたお別れができず、1週間沈んだ気持ちを引きずってしまいました。まだ深い海の底にいるような気分ですが、書かなきゃという気持ちにまでは戻りました。

誰かに憧れることのないわたしでも、背中を追いかけている人が何人かいます。父のようでもあり、兄のようでもあるあの人の背中。手が届かないところに行ってしまいました。この1週間は先の見えない暗闇の中を走っているような感覚でしたが、40歳を超えればこういうときにどうすべきかは知っています。

逃げることなく胸の締め付けと向き合い続ける。

きっと誰かに助けを求めれば、もっと早く楽になれたのかもしれません。でも、わたしたちに備わっている哀しみという感情は、きっと必要があるもの。流れそうになる涙をぐっとこらえ「この苦しさは自分だけのもの」と言い聞かせる。だって自分の苦しみは自分にしかわからないから。

出会いは万里の長城マラソン。あの人が最初に走ったとき、今よりもタフなコースでDNFとなりましたが、1年をかけて体を鍛えて翌年に完走しています。当時の万里の長城マラソンのコースはとにかくきつく、そこに「1年に1回くらいはバカになる」と言って毎年参加してくれました。

わたしが日本事務局を引き受けてからは、参加者を増やすためのアイデアを相談したり、中国語のできないわたしに代わって交渉をしてくれたりと、とにかく助けられることばかり。ときに厳しく叱咤し、どんな失敗をしても見捨てずにいてくれました。

数年前にガンにかかり、同時に膝の手術をしたにも関わらず、杖をついて万里の長城マラソンを走った姿。そして万里の長城マラソンだけでなくトライアスロンでも復活を果たした鉄人。昨年の秋に調子を崩したと聞いたときにも「また復活してくれる」と思い込んでいました。

それは叶わず。

思い出を挙げればキリがありません。「中国で働けばいいじゃん」「中国人と結婚しなよ」。中国の良いところも悪いところも知っていて、それでも中国が好きなわたしを肯定してくれる存在。あの人に出会ってなかったら、中国に対する好きの感情がまた違ったかもしれません。

もういないんですよね。それを受け入れるのには、まだ時間はかかります。わたしの父が亡くなったときも、本当に受け入れられるようになるには数年かかりました。あの人は父ではありませんが、たぶん同じくらい時間がかかりそうな気がします。

でも、そうしている間に時間は流れていきます。わたしが沈んでいた1週間の間に、新型コロナウイルスの影響でとんでもないことになっています。中国と韓国から日本に入れなくなってしまいました。これが解除されないと万里の長城マラソンに行くことができません(行けても帰れません)。

いろいろな判断を下さないといけませんし、わたしなりの情報発信もしていかなくてはいけません。生活をしていくために赤い自転車も漕がなくてはいけません。あの人のいない世界でも、わたしは生きていかなくてはいけませんから。

これまで通りというのは無理です。昨日、一昨日と自転車を漕いできましたが、心が崩れているから無理をしてしまいました。鹿児島マラソンが中止になって桜島を裸足で走ってきましたが、そのときも無理をしました。どことなく自棄になっているところがあります。

それが、大切な人と別れるということ。

この苦しみをきちんと受け止められるくらいになったとき、きっとわたしは何かを手にすることができるのでしょう。

少なくとも、ここに想いを綴ったからには、いつまでも立ち止まるわけにはいきません。今回のブログはその決意表明でもあり、ひとつのけじめのようなもの。谢谢大哥、ここからはしっかりと顔を上げて前に進みます。

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