未来の自分をイメージして行動を選択する【協調性がなくなるので注意】

わたしが通っていた大阪の箕面高校は学区内では上から4番目ということで、ギリギリ進学校という分類をされていました。それもあってか、サッカー部ではレギュラー以外の3年生は、ほとんどがインターハイ予選敗退で引退します。

インターハイ出場を狙える高校ではなかったので、そもそも高校総体も高校選手権もそこに出ることをイメージしたことがありません。でも仲間と楽しくサッカーをしていたかというとそうでもなく、あの頃から変わり者だったなと、インターハイ中止のニュースをみて思い出しました。

いや、あの時代があったから変わり者になれた気がします。今日はそんなどうでもいい話をしていこうかと。

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ベンチ入りもできないのに残った男

3年生はレギュラー以外みんな引退して受験に備えるのがあたり前だったのに、わたしはインターハイ予選が終わっても部活に残りました。高校選手権にかけていたわけでもありません。ほんの少しの希望もなかったかというと嘘になりますが、夏休み初日の紅白戦で肋骨を折り、わずかな光も消えてしまいました。

もっとも、わたしは高校に入ってからサッカーを始め、体が今よりも細くて、160cmで体重が50kgもないような選手だったので試合に出られるわけもなく。肋骨の骨折はめぐり合わせみたいなもので、骨を折ってなくても結果は何も変わらなかったかと。

ではなぜ残ったのか。

わたしは大学でサッカーをするために、インターハイでの引退ではなく、ギリギリまで部活に残れる道を選びました。ただでさえ下手なのにここで半年以上もブランクを作ったら大学で結果を残せるわけがないと考えたわけです。

サッカー部に入ったときからインターハイに出ることも高校選手権に出ることも眼中にありませんでした。そこはわたしにとっての夢でも目標でも通過点でもなく、高校3年間でのわたしは未来に向けてトレーニングを積み重ねていました。

そういう意味で、わたしはインターハイが中止になって悔しい思いをしている高校生の気持ちを汲むことができません。悔しいのだろうなとは思っても、その悔しさの大きさを想像できないでいます。もしわたしがその立場だったとして「練習時間が増える」なんて喜んでいたかもしれません。

協調性がないのはあの頃から変わっていません。

プロになることだけを考えていた大学時代

わたしは運が悪いくせに、人生の大事なときにだけは神様が手を差し伸べてくれるようで、模試でD判定しか出ていない湘南工科大学の特待生試験に合格し、なんとお金を払わずに大学に進学します。それも親の転勤が重なって実家から通うことに。

これはわたしの運ではなく、きっと親の運が強かったんだと思ってます。なぜならわたしは一人暮らしをしたくて、関東の大学しか受験していなかったわけで、親との暮らしは本望ではないわけです。でも、サッカーに集中する環境は整いました。

大学時代のわたしは、サッカー・バイト・勉強しかしていません。もちろん生活の中心はサッカーでした。でもこのときの視点はすでに先のところにありました。

大学でももちろん上手くないので、公式戦に出られるようになるまで3年かかりました。でも、わたしはそこで活躍することを考えていたのではなく、どうやったらサッカーで食べていけるのかばかり考えていました。高校時代は大学でサッカーをすることだけを考えていたのに。

昔からこういうところがあります。目標に達したらそれに興味がなくなる。目標達成はゴールではなくスタートラインで、すぐに次の目標を定めて次の挑戦に移行します。ですので大学時代は録画した海外サッカーの試合ばかり見ていました。

実家なのに自分でスカパーに加入し、暇さえあればサッカーの試合を観て勉強。それに週3回のアルバイトと学校の勉強があったので、遊んでいる時間なんてまったくありません。でも、すべてはサッカーで食べていくため。

夢は途切れたけど手元に残ったもの

自分の青春はサッカーだけしかなかったと言っても過言ではありません。でも、インターハイに出たいわけでも、インカレに出たいわけでもなく、ただずっとさきの未来に向けて積み重ねる。普通の大学生とはちょっと違っていたかもしれません。

サッカーで食べていく夢は海外チームのテスト生になるのを断ったところで途切れてしまいましたが、それを後悔したことは1度もありません。自分がその器でないことはわかっていましたから。ただ、海外に行っていたらいまと違う人生だったのは間違いありません。

プロ選手にはなれませんでしたが、わたしの手元にはきちんと残ったものがあります。それはずっと先の自分をイメージして、そこに向けて積み重ねていくというスタイル。わたしに特別な能力はありませんが、継続するということに関してだけは自信があります。

もちろん何でも継続できるわけではなく、自分が熱中できることだけに限られていますが、継続するのは得意です。継続すれば天才を追い越すことはできなくても、背中を見続けることはできます。ずっと続けていけば、自分だけの境地にたどりつけることもあります。

この継続力こそが、青春時代に培ったわたしにとっての唯一の武器かもしれません。自分では最強の武器だとは思っていますが。

人生の目標をどこに置くのかという考え方

わたしはお金稼ぎに一生懸命な人をあまり好きにはなれません。こういう仕事をしているとがっついた人と知り合うことがよくありますが、ビジネスを語る人と縁が深くなることはまずありません。「こんな稼ぎ方があるよ」と親切で教えてくれる人もいますが、正直どうでもいい。

このあたりがあまり理解してもらえないのですが、おそらくわたしの考える成功者とそういう人たちの考える成功者のイメージが違うのでしょう。人生の目標が違うと言ったほうがわかりやすいかもしれません。どこにたどり着きたいのか。

たぶん、世の中の多くの人はインターハイや高校選手権を目標にします。そこにむけて努力を重ねて、厳しいトレーニングにも耐える。そこに仲間との友情も生まれていくという経験を素晴らしいものだと考えるのでしょう。青春映画が好きなのでわからなくはありません。

でも、わたしはずっと先のことにしか興味がありません。良いか悪いかではなくそういう人間。自分の描く理想像があって、そこに向かうことしか考えていないので、自分のいるフィールドで輝こうなんて考えたりはしません。

もしかしたら良いか悪いかでいうと、社会的には悪い存在かもしれません。周りと協調することができないので。

新型コロナウイルスの感染が拡大したこの現状でも、わたしは先のことだけを考えています。もちろん今を無視しているのではなく、未来のために今なにをすべきかを考えて行動します。

お酒やコーヒーを飲まないようになったのも、自律神経を整えようとしているのも未来のため。毎日ほぼ仕事漬けなのも未来のため。今日を充実させるのではなく、ずっと先の自分を苦しませないために何をするかを選ぶ。

そういうスタイルが今の自分を作ってきたのだと思うと、悪くないものです。参考にはならないかと思いますが、ちょっと先に視点を置くというのは、どこかで役立つかもしれませんので、覚えておくといいかもしれません。

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