新型コロナウイルスの感染拡大が起こってから、ネットの中にも一般社会でも自粛警察や自粛ポリスと呼ばれる人が出てきました。マスクをせずに走ったら怒鳴られたという人もいましたし、外出したことをSNSに上げただけで叩かれた人もりますよね。
こういう自粛警察や自粛ポリスに対してどう対処すればいいのか。その方法についての話ですが、結論から言えば「そんなものはない」という身も蓋もないものになります。これは「イジメにどう対処すればいいのか」というのと同じで正解なんてありません。
でも、なぜ普通の人が自粛警察や自粛ポリスになるのかを知っておくのはムダではありません。そこで、今回は自粛警察や自粛ポリスについて、どうしてそのような行動を取るのかについてお話します。
羨望の感情が自粛警察や自粛ポリスを生む
学生時代にクラスメイトが表彰されたり、何かの全国大会に出場したりするのを見て「すごいな」という感情とともに「羨ましい」という感情を抱いたことありますよね。そして自分もそうなりたいと思ったこともあるはずです。
自分が望んでいながらもまだ手にしていないものを、すでに手にしている人に対して羨ましく思うことを「羨望」と呼びます。この羨望そのものは悪いものではなく、この感情があるから「自分もがんばろう」というような向上心が湧いてくることもあります。
でも時としてこの羨望は、自分の手にしていないものを所有している人に対する憎悪になることがあります。
本来なら自分がそれを手にするはずだったという思いや、自分が正当に評価されていないという不満などから、怒りの感情が生まれます。ただ、この怒りの感情というのはとても恥ずかしいものなので、人はその感情を隠そうとします。この隠すときに、ココロの中に抑え込むのではなく別の行動に出ます。
それが「正義を振りかざす」という行動です。羨望による怒りの感情で相手を叩くのは恥ずかしいから、自分の中の正義を使って相手を叩きます。いきなり核心にたどり着いてしまいましたが、これが現在のSNSなどでよく見られる自粛警察や自粛ポリスの正体です。
ポイントだけを話した上に、いきなり結論を持ってきたので混乱していると思います。ですので、もう少し具体的に説明していきます。
「自分も抑圧から自由になりたい」という心理
わたしたち人間は自由を愛しています。建前はともかく、人に指図されるのは深いですし、自分の道は自分で選びたいという思いがあります。その一方で日本には「出る杭は打たれる」という文化があります。みんなで足並み揃えて進みましょうよという考え方が根付いています。
今回の新型コロナウイルスによって、多くの行動が制限されました。あれもこれれも自由にできなくなり、心理的には抑圧された状態です。でもほとんどの人は「出る杭は打たれる」怖さと「今は自分を押し殺してでも集団の利益になることを選ぶべき」という理性によって我慢しました。
ところが集団の中には、打たれることを何とも思わない人もいて、日本的な集団を重視する心理が働かない人もいます。自由を手放した人からすると、こんな状況でも抑圧されずに自由に行動している人を羨ましく感じます。
そして「自分もそうしたいけどできない」ことに不満を感じるわけですが、それを口にするのは恥ずかしいことですし、みっともないと感じるわけです。だから、自粛に応じず自由に動き回っている人に対して正義を武器に攻撃をしかけます。
「わたしは羨ましいから攻撃をしているわけではなく、あの人が正義からハズレているから攻撃をしている」となるわけです。
実は人間は正義を手にすると、攻撃的になることがわかっています。ですので、より攻撃的な言葉や態度で自粛に応じない人を攻撃していきます。このときの正義というのは、実は後付であることがほとんどです。自分の羨望の感情を隠すために、それっぽい正義を見つけてきて叩きます。
この羨望の感情を隠すという行為は、怒りを抑えるための訓練を受けている人でない限り誰にでも起こります。でも全員が自粛警察や自粛ポリスになるわけではありません。
自粛警察や自粛ポリスになるのは自分を過大評価している人
自粛警察や自粛ポリスになる人とそうでない人はどこに境があるのか。そこに明確な基準があるわけではありませんが、そうなりやすいタイプの人というのはすでに分かっています。それは自分に対する過大評価をしている人、自己愛が強い人たちです。
羨望の感情が出てくるのは「自分もそうでありたい」と思う感情がベースにあります。自分を過大評価している人は、さらに1歩進んで「自分もこうなっているべきだ」と考えます。そして自分がその人の立場に慣れないことに対して、大きな不満を抱きます。
ここで大事なのは自粛警察や自粛ポリスになるのは、突発的なものではないということです。その人の持っているパーソナリティが影響しているので、そのような行動を止めることはできませんし、対抗したところで相手が屈するようなことはありません。むしろ争いが大きくなるだけです。
ではなぜ自己評価が過大になるのか。
そのひとつの要因として考えられるのが「夢は叶う」「やればできる」という思想で、50代よりも若い世代はみんなこの思想になんらかの影響を受けているかと思います。ドラマも漫画もこのような思想の作品が多く、学校でも自分の夢について作文を書かされます。
そして親から自己愛を背負わされているケースもあります。親が自分に叶えられなかった夢を子どもに叶えてもらおうと愛情を注ぎ込む。「あなたはできるはず」といって育てられた結果、自分が万能に思えてきて「自分はもっとできるはず」と過大評価をするようになります。
そういう人が増えてきて、まだSNSのような発信ツールができたことで自分が特別な人間だと勘違いするようになるわけです。SNSではその勘違いを支える人がたくさんいます。どんどん周りが褒めてくれるから万能感が高まるわけです。「先生」と呼ばれる人たちが勘違いするのも同じ構造です。
そうなると羨望の感情を持ちやすくなり、それを隠すために叩くというわけです。また周りに持ち上げられるのは気持ちいいので、万能感を維持するために、ネット上のアラ探しをして叩くというような行為に出ることもあります。
このタイプの人は基本的には無視しておくのが1番です。
アルコール依存症や心の病が生み出す妄想
自粛警察や自粛ポリスになる原因が羨望の感情にあるとお伝えしましたが、もうひとつ人が自粛警察や自粛ポリスになる理由があります。それが恐怖心です。わたしたちは恐怖に支配されそうになると、自分を守るために攻撃性を持つことがわかっています。
この恐怖に支配されることへの反発から自粛警察や自粛ポリスになっている人がいます。
どのような人がそうなるかというと、アルコール依存症や統合失調症などの病気を抱えている人で、これらの人たちは妄想しやすい傾向にあることが古くから知られています。自粛に従わない人が新型コロナウイルスを意図的にばら撒いているのではないか、自分を殺そうとしているのではないかという妄想。
そうなると怒りの感情を抑えることができず、怒鳴ったり殴りかかったりします。これは少し厄介です。ほとんど言いがかりのようなものですし、理屈が通じる相手でもありません。だから対処方法がないとお伝えしました。
どこで妄想のスイッチが入るかもわかりませんので、ちょっと危なそうな雰囲気の人がいたら近づかないくらいしか逃げようがありません。羨望による自粛警察はまだ理性が効いている状態ですが、こちらは理性がないので避けるのが1番です。
命にかかわることもあるので、絡まれても相手にせずに離れるようにしてください。
自分が自粛警察や自粛ポリスにならないようにする方法
誰もが自粛警察や自粛ポリスになるわけではありませんが、ここまでフラストレーションが溜まると、どんな人でも無意識のうちに自粛パトロールをしてしまいがちです。わたしは別に好きにすればいいと思うのですが、大切な人を失うこともあるので、そうなりたくないと思っている人にアドバイス。
まずは難しいけどシンプルな「身の程を知る」ということ。
自分を過大評価するのをやめれば、羨望の感情が悪い方に転がることはありません。自分の器のサイズをきちんと見極めて「自分は自分、他人は他人」と思えるようになれば、自粛警察や自粛ポリスになることはありません。言葉にするのは簡単ですが、きっとこれが1番ハードルが高いかと思います。
他人と比べない自分でいるのは、他人に対して興味を持たないようになることなので、わたしみたいな人間になってしまいます。あまりおすすめはできません。
難易度は高いけど、おそらく誰でもできるのがネガティブな感情から逃げないということです。羨ましいと思ったことも、「なんであの人だけ」と思ったことも全部目をそらさずに受け止める。逃げるから、隠したくなるから正義を振りかざすわけです。
かっこ悪い自分を受け入れて、どうせならどんどん発信すればいいんです。それで離れていく人もいるかもしれませんが、自分を守ることはできます。
もうひとつは、ずっと言い続けていることですが「穏やかでいる」ことです。騒動からできるだけ距離をおいて、呼吸を整えて毎日を丁寧に送る。怒りの感情を向けられても柳のようにするっとかわす。ほどよく適当にリラックスして日々の変化を楽しむ。
自律神経が整っていれば妄想で攻撃的になることもありませんし、羨望の感情に支配されることもありません。
どれも難しい?そうだと思います。だからこんなにも悪意に満ちた状態になっているんです。平穏を手にしたいならそのための努力が必要ですし、手放さなくてはいけないものだって出てきます。1番大事なのはその覚悟なのですが、それは大きな声では言えません。