「自分は弱いから」という言葉が好きではありません(これを書くのは何度目でしょうか)。
自分の器をきちんと分かっていて謙虚なように思えますが、ほとんどのケースで「自分は弱いから」の後に「だからできない」と言葉が付きます。そう思うのは自由ですが、アドバイスを求められて「わたしならこうする」と伝えたときに「自分は弱いから」と言われると困ります。
例えば「痩せたいけどどうしたらいい?」と聞かれたら「16時間のプチ断食を1ヶ月続ければいい」と答えます。まず間違いなく「自分は弱いからそれは無理」と返ってきます。口には出しませんが「じゃあ聞くなよ」と思うわけです。
まずは何でもやってみること
自分が弱いということを前提にするのは悪くありません。わたしも自分が強い人間だなんて思っていません(周りからどう見られているかはわかりませんが)。でも弱いからできないということは、わたし自身は絶対に受け入れません。
弱いからできないなら、できるようになるまで積み重ねればいい。できるできないではなく「やる」しか道はありません。必死のパッチでやってみてうまく行かなくて「できない」というのはいくらでもあります。サッカー選手にもなれませんでしたし。
でも、やる前から諦めるというのは違います。
いやそういう生き方もありだとは思いますが、だったら人に相談するというのはなしです。相談された側はなんとかできないか真剣に考えます。それはわたしだけでなく、他の人もそうです。なんとかして問題を解決してあげたいと思って、悩んで答えを探し出して提案する。
その提案を「自分は弱いから」で却下する。それもやってみることもなく。わたしは優しさに欠ける男なので、そういうことがあるとその人には2度とアドバイスをしません。自分のために使える時間には限りがあるのですから、そんな人に関わっている時間はありません。
関わらないというのは語弊がありますね。別に人として嫌いなわけではないので、付き合い方は変わりません。ただアドバイスを求められても「知らんがな」で済ますというだけ。
努力を積み重ねられない理由はどこにあるのか
わたしは基本的に「やる」か「やらない」の選択肢しか持っていません。「やりたい」という曖昧なものはできるだけ排除しています。お腹を凹ませたいなら、16時間のプチ断食をしますし、サブ3を狙いたいなら苦しいトレーニングも積み重ねます。
目的があり、それを達成するためであれば苦しくても努力を積み重ねます。それがわたしのスタイルですし、わたしにとって「普通」です。でも世の中のみんながそうではないことくらいわかっています。努力を継続できない人のほうが圧倒的に多い。
基本的には内向的な人ほど努力の積み重ねが得意で、外向的な人は努力の積み重ねが苦手です。もちろん個人差があります。内向的な人は自分の変化を楽しみにできますが、外向的な人は他人の評価が重要なので誰もいないところでコツコツ積み重ねることに飽きてしまいます。
だからわたしが「やればいいだけじゃない」と言っても、外向的な人は「それができれば苦労しない」と反発します。ここはどうしたって噛み合いません。外向的な人に継続させるにはそれに見合った報酬を用意しなくてはいけません。「1ヶ月で5kg痩せたら10万円」のようなわかりやすい報酬。
逆にわたしなんかは、そういう報酬があるとやる気が消えてしまいます。報酬のために何かをすることを下品だと思うので。これはなかなか理解されない考え方ですが、おそらく内向的な人には分かってもらえるかと思います。
がんばらなくてもいいが成功を望むべきではない
別にすべての人ががんばる必要なんてありません。みんなが適度な体脂肪率を維持する必要なんてありませんし、すべての人が社会的な成功者になる必要もありません。そこが大前提ですが、もし何かを望むなら努力はどうしたって必要です。
才能だけでなんとかできてしまう人もいますが、少なくとも44年間生きてきて才能だけでなんとかしている人には会ったことがありません。おそらく本当に限られた一部の人だけで、99.99%くらいの人は何かを成し遂げるには努力が必要です。
でもわたしなどに相談をする人は、きっと「何か秘訣があるんだろう」と思うのかもしれません。楽して痩せる方法がある。楽して速く走れるようになる方法がある。楽してフリーランスとして生きていける方法がある。そしてその方法を教えてもらいたい。
もちろんそんなものはありませんし、知っているなら自分だけの秘密にします。
わたしが伝えられるのは「無駄な努力にならない」ようにする方法です。同じトレーニングをするにしても、より効果的に自分を鍛えられる方法。同じ痩せるにしても効率的に脂肪を燃焼させる方法。それを伝えることができます。
でもその方法を「自分は弱いから無理」と言われると、がっかりするわけです。楽して成功する秘訣を伝えられないわたしに原因があるのかもしれませんが、無い袖は振れません。痩せたければ食べない。速く走りたければ練習するだけです。
楽をしたいことは自分に向いていない
もし「楽して成し遂げたい」と思うことがあれば、きっとそれはあなたには向いていないことをやろうとしています。楽して痩せたいという人は、間違いなくダイエットには向いていません。メタボや寿命なんて気にせずに好きなように食べればいい(悪い意味ではなく)。
楽してお金を稼ぎたいなら、きっとその人はお金を稼ぐのに向いていません。お金を稼ぐよりも、お金のかからない生活にシフトチェンジしたほうがいいです。
でもほとんどの人は「向いていない」ことを受け入れられない。心のどこかで自分の万能性を信じているから、自分ならできるはずだと信じて突き進む。でも向いていないことに一生懸命になるから、どうやってもうまくできずストレスだけが溜まっていく。
他の人がうまくやっているものを、自分もうまくできる必要なんてないんです。みんなと同じである必要だってない。なのに勝手に成功者像を作り出し、無理に自分をそれに当てはめようとする。そんなことしていたら、心が疲れるだけです。
自分を弱いと思うなら、心からそれを受け入れたほうがいい。そして成功したいという感情を手放す。そして、自分の本当にやりたいことに自分のリソースを割くほうがいい。わたしたちには限られた時間しか与えられていません。
みんなが期待する人になるのをやめる
わたしたちは知らずしらずのうちに、誰かの期待に応えようとしてしまいます。親の期待に応えるように、職場の上司の期待に応えるように、好きなあの子の期待に応えるように。これ自体はモチベーションにもつながります。期待に応えられたときには「褒められる」という大きな報酬を得られます。
でもその期待に応えるための努力をする過程で楽をしたいと思ったら、それは無理をしています。無理をしていいことなんてひとつもありません。10代20代なら苦労は買ってでもしたほうがいいので、無理をするのもいいと思いますが、少なくとも40代になって無理をしたらデメリットのほうが大きくなります。
「四十にして惑わず」というのはよくできた言葉で、40歳を超えて誰かが期待する人になろうとするのは無理があります。もう「自分」を確立しているわけで、できないことはできないでいいんです。勘違いしないでほしいのですが学ぶことを否定しているわけではありません。
自分のなりたい自分になるために学ぶのはいいことです。でも誰かが期待する自分になるために学ぶ年齢ではありません。万能性を捨ててください。変わり者でいいじゃないですか。できないことがたくさんあったっていいじゃないですか。
自分の得意な分野、努力するのがまったく苦でない分野で自分を伸ばす。そうすればもう「自分は弱いから」なんて言い訳しなくて済みますよ。