昨日はワークマンの勉強会があり、朝から東京へ行ってきました。久しぶりに座れない時間帯だったのですが、まあ1年に数回くらい会社員の気分を味わうのも悪くないものです。ただ困ったことに新宿駅のホームに人が立ち入ったとかで、電車が10分程度遅れていました。
20分の余裕をみていたので遅刻はせずに済みましたが、電車は必要以上に混み合ってて、会社員はみんなこんな大変な思いをして働いているのだなと、当たり前なことを考えてしまいました。今さらの話ですし、それが東京で働くということなので、満員電車が辛いなんて誰も思わないのかもしれませんが、私には耐えられず。
そもそも電車が苦手で、満員電車はさらに輪をかけて苦手でした。だから会社員時代は、基本的に職場の近くに住むようにしていました。通勤時間を無駄だと感じていましたし、やはり電車に揺られるのは気持ちいいものではなく。ただ、みんなそれをやってるわけで、純粋にすごいなと思うわけです。
私も電車が苦手でなければ、会社員を続けられたかもしれませんが、フリーランスになって電車に乗らない生活になって救われたような気もします。そう言いながら、東京までUberEatsの配達に行っているわけですが。その時はストレスに感じないんですけどね。むしろ楽しみなくらいで。
要するに「◯◯時までに」というのが嫌いなのかもしれません。電車での移動はその時間までに到着できないリスクがあり、私が遅れることで、他の誰かに迷惑をかける可能性がある。私はそれが耐えられない。でもUberEatsだと私が送れたくらいで誰かが困るわけではありません。
それは私が1人を好む理由のひとつ。誰かと連むということは、その人に迷惑をかける可能性がある。だったら1人のほうが気楽じゃないですか。迷惑をかけることを普段に感じないくらいの間柄の人がいればいいのですが、私の場合はおそらくどんなに長い付き合いになっても、どれだけ親しくなっても無理な気がします。
頼ることが苦手。これは私の1番の短所だと思っています。もちろんそれは1番の強みでもありますが。私のようなタイプはいつの時代でもいるのだと思いますが、ふと江戸時代やそれよりもさらに昔の時代に生まれた誰かを頼れない人は、どのようにして生き抜いたのか気になってしまいました。
言うまでもなく、日本の歴史は米づくりがベースにあります。それは弥生時代から昭和の途中まで続いてきた文化のようなものであり、米づくりにおいて誰かを頼れないできない人間は生きていくことはできません。自然を相手にしているわけで、年によっては凶作になることもあるわけです。
米づくり文化においては、お互いに頼ったり頼られたりする関係が必須で、じゃあ私のような頼れない人はどうなるのか。考えられるのは2つあって、ひとつは淘汰されていくということ。そういう人間はいつの時代も一定数いて、ただマイノリティが生きていけるのは現代だからこそなのかもしれません。
もうひとつは、頼れる人間になるように徹底して教育される。「立っている者は親でも使え」という言葉があります。私の母もよく口にしていたような気がします。農家においてはそれが常識であり、「迷惑をかける」ことに対する罪悪感がそもそもなかった可能性もあります。
「困ったときはお互い様」という言葉からもわかるように、誰かを頼ることは朝の挨拶をするくらい当たり前のことであり、約束を守れなくても「人間とはそういうもの」くらいな感覚を共有していた。それは私の妄想でしかありませんが、そういう時代が数十年前まで何千年も続いていた。
生きていれば上手くいくことばかりではない。そんなことはみんな知っていて、それなのに完璧を求めてしまう。それも自分だけでなく他人にも。そういえばさだまさしさんも関白宣言で「出来る範囲で構わないから」と歌ってました。何事もできる範囲で構わない。そう思える人になりたいところです。
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