昔から変わらないとよく言われます。白髪もずいぶん増えてきたし、顔にできたシミも消えなくなっているので、変わらないわけはないのですが、昔を知る人からは「変わらない」という評価をいただいています。
そういう自分自身も気持ちはずっと18歳くらいで止まっています。ピーターパンシンドロームというわけではありません。大人になりたくないわけではなく、あの頃からやっていることは何も変わっていないというだけのこと。
あの頃から変わっていないのは、あのとき心に決めたことを達成できていないから。それはプロサッカー選手になって、三浦知良選手と同じフィールドに立つということ。私はとっくにその道から外れましたが、三浦知良選手はずっとそこで待っているわけです。
同じフィールドに立つと決めた理由については以前話したかもしれませんが、天皇杯のヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)とガンバ大阪の試合でボールボーイをしていたときのこと。私はガンバ大阪を応援しており、その試合でガンバ大阪が負けたことが悔しくて、試合後にちょっとムッとした表情でベルディの選手を見ていました。
当時のベルディはスター軍団で同じボールボーイをしていたチームメイトは、ヴェルディの選手に近づきはしゃいでいたので、私1人がちょっと浮いた感じになっていた気がします。そのとき三浦知良選手と目が合いました。
そのとき「悔しかったらここまで上がってこい」とアイコンタクトされました。もちろん私の思い込みですが、サッカーで食べていくと決めたのはそのときからです。ただ技術がまったくついてこないのと160cmの低身長とフィジカルの弱さで、プロにはかすりもせず。
ウルグアイのリーベルプレートに練習生として行けるチャンスがありましたが、プロとしての合格でなかったので、私のサッカーへの情熱のすべてが終了しました。そして三浦知良選手の背中を追うこともなくなったわけです。
ここで三浦知良選手が引退でもしていれば、私もすべてを忘れてみんなと同じように年齢を重ねていけたのかもしれませんが、ことあるごとに名前が出てくるわけです。そしてそのたびに私は18歳に戻らされるわけです。
今回も55歳でポルトガル2部リーグへの挑戦。そんなのを聞いたら、またリセットされてしまうじゃないですか。彼はずっと待っているわけです。もちろん私を待っているわけではありませんが。ちなみに似たような感情は森脇健児さんにもあります。
東京に出てきたのはサッカーで食べていく道筋を作るためですが。1994年に大阪から東京に行くなんて、東大や早慶などを目指す賢い人か、芸人のような変わり者のやることでした。そんな状況で尊敬する森脇健児さんが東京進出をしたということが大きな刺激になりました。
森脇健児さんに追いつこうなんて思いもどこかにあったのですが、追いつくためにがむしゃらにやっていたら、いつの間にか森脇健児さんが京都に帰っていなくなっていました。今はこの話を森脇健児さんに直接話しをするのがひとつの夢です。
とにかく気持ちは関東に出てきた18歳のままなんですよね。体は間違いなく47歳なのが悲しいところですが。そして同じフィールドに立つことはできませんが、いつか三浦知良選手にもこの話ができる日が来るように、これからも毎日コツコツと。