ピラティスを続けてきたことがすべての原点:石の上にも10年

想定外の腰痛に悩まされるていましたが、冷静に考えたら走れないこともないかなと思う程度になっています。回復したというよりも、痛みを抱えていることに慣れただけかもしれませんが。基本的に腹圧をかけておけば激痛にならないようなので、その気になれば走れそうな気もします。

もちろんリスクを犯してまで走ることはありません。腹圧をかけたり、意識的に脱力したりしないと靴下を履けないくらいの状態ですので、少なくとも靴下を履けるくらいにまでは回復したいところ。ただ、きちんと自分の体をコントロールできていることには安心しています。

それもこれもピラティスのおかげです。ピラティスをしていなければ、今回の腰痛に耐えられなかっただけでなく、そもそもランナーとしても特筆すべきものを持っておらず、会社を辞めてフリーランスになることもしていなかったかもしれません。いまランニング関係の仕事をできているのは間違いなくピラティスのおかげです。


ピラティスとアサイーだけは、ランナーなのに導入しない人の気持がわからないと思うくらい、どちらも私のランナーとしての立ち位置を大きく変えてくれました。北海道に来てからコンディションがいまいちなのは、アサイーのない生活が3ヶ月も続いて、血液が足りていないからかもしれません。

それを言えば玄米も足りていません。そもそも北海道に気てからご飯をほとんど炊いていないので、今日は久しぶりに玄米を炊くとします。忙しかったというのもあって、いろいろと鶴巻温泉での生活とはかけ離れたことをしていたようで、これでは体がおかしくなって当然です。

どれくらい体がおかしいかというと、朝起きてから数百メートル先のセブンイレブンまで歩いていく途中で、何もしていないのに左足が攣りかけたくらい。自分が思っている以上に満身創痍なのかもしれません。若くないということを痛感しています。


ただ老いを簡単に受け入れるほど私は素直にできていないので、まだまだ体には負担をかけてやろうとは思います。この夏もどこかを旅ランしたいところです。ただ昨年の東北横断みたいにインパクトのあるコースは意外と少なく、どこを走るかはまだ思案中です。

こういう旅ランができるのも、自分の体と向き合う習慣がついたからだと思っています。自分の体と向き合えば自分の限界がどこにあるかが見えてきます。限界が見えれば、新しいチャレンジもしやすくなります。限界の一寸先にゴールを置けばいいだけですから。

自分の体と向き合うということをせずに、無謀な挑戦をする人がいます。私はそれをすごいとは思いませんし、そのような挑戦そのものも、挑戦する人にも興味がありません。「できるかどうかわからない」。そんなギャンブル的な生き方は私の美学には合いません。


私はいつも「自分にできることしかしない」と口にしていますが。なにも現状維持で満足しているわけではありません。挑戦によって限界を超えていくのではなく、日々の生活やトレーニングによって限界を引き上げるというのが私のスタンス。

ピラティスやアサイーのある生活を継続し、自分の枠をゆっくりと広げていく。だから私にとってマラソン大会や旅ランはどこまで広がったかを確認するための作業の場。手が届かない目標に対して、無理にジャンプして手を届かせる場ではありません。

そのやり方では成長の速度が遅いと感じる人もいるかもしれませんが、人生で急いでやらなくてはいけないことなんてほとんどありません。石の上にも10年くらいのつもりで、小さくコツコツ積み上げていく。その先でしか見れない景色があることを私はすでに知っています。

▼アサイーをおすすめする理由をもっと詳しく知りたい人はこちらをチェック

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