鰊御殿と小樽から消えたニシン【ひとつの物語を書けそうな気がする】

昨日は仕事を休みにして、お店のスタッフと小樽観光をしてきました。これで3回目の小樽なんですが、今回はしっかりと観光をしようということで、2つの鰊御殿を観てきました。人に歴史ありと言いますが、土地に歴史ありですね。

私にとって小樽は運河のイメージが強かったので、昭和レトロを感じられる観光地という印象でした。でも、昨年くらいから北前船について触れることが増えており、そこで鰊という単語を何度も目にするわけです。だから、何となく小樽も意識していたわけです。

ただ人間の心理というのは面白いもので、運河のある小樽と北前船の小樽が結びついていませんでした。ただ、鰊御殿を訪れたことで、点と点が繋がった感じがあり、小樽への興味が一気に広がりました。ここに歴史があるということを強く感じたのが大きいかもしれません。

私はとにかく歴史が好きなんです。教科書に書かれている大きな歴史も好きなんですが、そこで暮らしていた名もなき人たちの生活があったという小さな歴史に惹かれます。ですので、昭和初期などの写真を眺めるというのは私にとって至福のとき。

そして今回興味を持ったのは、昭和33年に小樽から鰊がいなくなったという話。これにより何百年も続いてきた鰊バブルが弾けたわけです。そのことも興味深いのですが、鰊御殿を建てた人たちがそのあとどうなったのかも気になります。

もちろん、そこに労働者がいたわけで、彼らの葛藤もあったはずです。そこには間違いなくドラマがあり、魅力的な物語が書けそうな気がします。私が思うくらいですから、すでにどこかの作家さんが書いているとは思いますが、自分でも書いてみようかなと。

そのためには調査が必要で、なおかつ時間も必要になります。でも、数年かけて書いてもいいのかもしれません。なんせ昭和33年に終わった歴史なわけで、ここから情報が大きく更新されることもないでしょうから。情報が陳腐化されません。

情報収集はこのブログをメモ代わりにすればいいわけで、あとはただの小説にしないためのアイデアが欲しいところですが、多くの人が失敗していることなので私なんぞにそんな無謀な挑戦をしていいのかはわかりません。

思いつきではあるのですが、後世に残すべき話だという確信はあります。その気持ち茶鰊御殿を実際に目にしたことでより強いものになりました。圧倒的強者がどのようにして消えていったのか。どのようにして生き延びたのか、これは現代にも通じるテーマでもあります。

すべては繋がっている。それは47年間の人生の中で感じてきたことで、私がいま北海道にいるのは必然で、だとしたらそれが何かにつながるはず。そのひとつが長沼町であり、そしてもうひとつが鰊御殿というテーマなんじゃないかと。

もちろん物語にしたところで、多くの人に読んでもらえるとは思いません。お金もないので自費出版もしません。でも、私の人生において、それを書き上げることがひとつのステップになるのは間違いなく、そこからまた何かが始めるのだと信じています。

とりあえず、ここから半年は情報収集に充てます。なので書き始めるのは年が明けてからでしょうか。そこから50歳になるまでに書き上げることがとりあえずの目標。人生にいい目標ができました。これでもし走れなくなっても前を向いて生きられそうです。

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